映画『M3GAN ミーガン』観了。
まぁ面白かったけど、ジャンル映画の域は超えていなかったかなーと。
これが単なるお人形さんだったら『チャイルド・プレイ』な訳だけど、AI搭載自立型アンドロイドだから そこに『ブレードランナー』や『ターミネーター』なんかの要素も入ってくる訳で。でも結局ラストは『ターミネーター』であり『エイリアン2』なんだよw うーん、もうひと捻りふた捻り欲しかったな。
でもさぁジャンル映画と割り切るのなら、これでもいいと思うんだ。心臓さえ破壊されなければ いくらでも再生できるジェイソンみたいに(笑)、ネット上にデータさえ残っていれば いくらでも戻って来られる訳じゃない、ミーガンも。
だからパート2は双子になって帰ってきてもらいたいんだよね。『シャイニング』みたいにwww
ところで 観ていて途中からミーガンが加藤夏希に見えてきてワロタwww
★★★☆☆
アマプラで『ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー』を観了。
正直言ってなめてました。どうせゲームのオープニングムービーみたいのが延々と続くんでしょ?…と。
でもいざ観てみたら マリオ好き、任天堂好き、ゲーム好き、アニメ好き、映画好き…誰が見ても楽しめる全方位外交的な作品になっていて驚いた。
スーパーマリオには かつて『スーパーマリオ 魔界帝国の女神』(ハリウッド実写映画)や『スーパーマリオブラザーズ ピーチ姫救出大作戦!』(劇場用アニメ)等の前科(黒歴史)があるw あの頃は「人気のテレビゲームを映画にしてやりました」感があった訳だが、あれから40年が経過し状況は一変した。映画において半世紀レベルで今なお 現役のブランドとして認知されているものは決して多くはない。まぁディズニーとかジブリとかスターウォーズシリーズとか。そしてマリオもついにその域に達したのである。ポップアイコンとしてのマリオの名を汚さない、皆の期待を裏切らないものを作ろうという意思が感じられたし、何せマリオの世界観とイルミネーションとの相性がバツグンだった。
それとテレビゲームというものが世界の共通認識になったからこそ成し得たマリオマナーやニンテンドー・ユニバース的展開だけでなく、スーマリ世代に響く80sマナーやヒップホップへのリスペクトなんかもあって、愛も感じられたし作り込まれているなーといった印象。新時代のポップカルチャー感があったよな、ウン。
それと上手いなーと思ったのは、キャラクターの性格づけ。ゲームではあんまり関係ないじゃん。ピーチはお姫様で クッパは悪者っていう「記号」でしかないから。でも筋のある映画となれば それだけという訳にはいかない。特にゲーム内のムービー以上に表情豊かなピーチ姫の描写とかよかったなぁ。
未見の方はホント騙されたと思って観てみて。僕はあまりゲームをやらないんだけど、ゲーム実況とかは好きでよく見る人なのねw ゲームが好きな人はインタラクティブなゲームの方が 一方通行の映画よりも面白いよって言うかもしれないけれど、それにしてもよく出来た佳作。
欲を言えば、ピーチ姫のバイクシーンでAKIRAスライドをやってほしかったし、日本語吹替版は『ヒーロー』も麻倉未稀でやってくれよっていうぐらいかな?w
★★★★☆
もうちょっと『TAR/ター』の話をさせてほしい。お次はラストシーンの考察。なので思いっきりネタバレである。でも初見ではおそらくわけわからんちんだと思うので、むしろこのネタバラシを読んでから観てほしいw
初めて観た時にはまったく訳がわからないラストだった。なんで観客がみんなコスプレしてんのと。
で、見終えた後に調べてみたら、どうやらコレはビデオゲーム『モンスターハンター』のフルオケコンサートだったのね。
最高峰のベルリンフィルで指揮をしていたのに対して、アジアの地で小さなオーケストラを率いてゲームミュージックを演奏するというのを都落ちと見るか、新たなジャンルへの挑戦と見るかで ハッピーエンドにもバッドエンドにも取れる、観客に委ねたラストが非常に興味深かった。
これは受け取る世代にもよるかと思うんだよね。ゲームミュージックをベルリンフィルより上に見るか下に見るかっていう。
それとこれは映画批評家たちに対しての挑戦状だとも思えた。映画ばっか真面目に見続けている人はあまりゲームはやらない。だからこのラストが理解できない(まさしく僕がそうだった)。そんなところは宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』にも似ている。一見難解な映画だが、吉野源三郎の同名小説を読んでいればスルリと理解できる内容になっており、これは「あなた、吉野源三郎をご存知ですよね?」という事を前提に作っている ちょっと意地悪な映画でもあるのだw なのでトッド・フィールド監督に「あなた、モンハンをご存知でない?」と言われたような気がしたのだw
ちなみに本作の女性指揮者 リディア・ターは エミー賞、グラミー賞、アカデミー賞、トニー賞の4冠を制覇した十数名の「EGOT」(←各賞の頭文字を取った名称)のひとりという設定になっている。
テレビ(エミー)、音楽(グラミー)、映画(アカデミー)、演劇(トニー)…この中で抜けているのが「ゲーム」なのだ。
そう思うと、かつてバーンスタインのテレビ番組を見て音楽の道を志したリディア・ターのリスタートで幕を閉じた『TAR/ター』は ある意味ハッピーエンドだったのではなかろうかと。
トッド・フィールド監督『TAR/ター』観了。
結構長めの映画なんだけど(158分)、むしろ短く感じるくらい面白かった。いや、厳密に言うと面白くはないw 物語終盤までは特に何も起こらず、稀代の女性マエストロ、リディア・ター(ケイト・ブランシェット)の日常がまるでドキュメンタリーの如く淡々と描かれていく。
しかしこの「何も起こらず」というところが本作のミソで、最後まで見終えると実はいろんな事が起こっていて、それがちゃんと可視化されていた事にも気づくという、一見地味だけど かなり巧妙に練られた脚本で魅せていく作品だった。なので二度観ると より楽しめる作りになっているのだが、わからない人は二度三度観ても理解できないだろう。そんな挑発的というかリトマス試験紙みたいな映画だったのだが、本作の監督 トッド・フィールドは元々役者で、スタンリー・キューブリック監督の遺作となった『アイズ・ワイド・シャット』ではピアニストの役で出演していた。そう思うと この観客を試す挑発的な作風も納得なのである。何せキューブリック学校の卒業生なのだから。
それと158分の間 飽きずに観られたのは その目を見張る映像の美しさだ。シネスコサイズにどっしりとしたステディな画角、これぞまさに劇場で観るべき映画だと思った。
そしてケイト・ブランシェットの名演…いや、これをあまり上手い演技という陳腐な言葉で括りたくない。彼女はまさにリディア・ターそのものでしたよ。しかし ケイト・ブランシェットってこんな役者さんだったっけと思っていたら…ケイト・ウィンスレットと勘違いしていたwww そりゃ別人だわw
★★★★☆
久しぶりにクエンティン・タランティーノ初監督作品『レザボア・ドッグス』を鑑賞。
公開当時 渋谷駅でバッタリ出会った映画学校の仲間が「これからタランティーノって奴の映画を観に行くんだけど」と言うので着いて行って、今は無きシネマライズで観たのが最初。それっきりほとんど観ていなかったので、途中ティム・ロスが一生懸命台詞を覚える件とかすっかり忘れていたw
まぁもちろんオチを分かった上で見直した訳ですが、それでも面白いんだよねぇ。あのオチへ持っていくためにどんな構成をしているのかというのも冷静に分析できて、それはそれで楽しかった。そしてティム・ロス、演技うま男👍w
タランティーノ映画はこれと『パルプ・フィクション』も含めて90年代最大の「発明」だったよね。これは後の渋谷系ブームにも繋がるんだけど「DJ」と「サンプリング」で最高にクールな映画が作れるという事を証明してみせたのはタランティーノの功績であり、それを発掘したハーベイ・カイテルの懐の深さに今更リスペクト。
まぁそのサンプリングネタとしてよく挙げられるのがキューブリックの『現金に体を張れ』(1956年)や黒澤明の『羅生門』(1950年)だったりする訳だけれども、後半は香港映画『友は風の彼方に』(1987年)のほぼほぼ丸パクリw
そういった元ネタをビミョーなところから持ってくるところもなんだか渋谷系っぽいのだが、それはおそらく世界でたまたま同時多発的に起きたサブカルチャーの潮流だったんだろうなと。
そいでもって久しぶりに観て気がついた点をひとつだけ。それは「見せない演出」。
パトカーで駆けつけた警官を二丁拳銃で撃ち殺すMr.ホワイト(ハーベイ・カイテル)。で、そのどさくさに紛れて実はMr.オレンジ(ティム・ロス)は瀕死のMr.ブラウン(クエンティン・タランティーノ)の事を撃ち殺しているよね。カットは割られていないけれど。
それとラストのハーベイ・カイテルとティム・ロスの熱いBLシーン(コラコラw)。これも最後、おそらく警官によって射殺されたであろうMr.ホワイトがMr.オレンジに向けて引き金を引いたがどうかは はっきりと描かれてはいない(寄りの画になったため)。
『パルプ・フィクション』とか『キル・ビル』ぐらいまで行っちゃうと ちょっとあざとい演出や なめ切ったパクリ(笑)も出てくるのだが、予算や時間が無い中で如何にスマートに見せられるかにこだわった『レザボア・ドッグス』の方が今観るとグッと来るな、ウン。
★★★★☆
公開からだいぶ経ったんで、もうちょっと『フェイブルマンズ』について語らせてほしいw しかも今回もネタバレ…しかもラストシークエンスであるw
スピルバーグなんかに興味ねーよとか、2時間半もある映画観るのかったりーっていう人は このラストシークエンスだけでも観てくれ!! お願いだからw
両親の離婚とか大学に馴染めないとか嫌な事つらい事もあったけど「なんと僕、ジョン・フォード監督と会っちゃいました!!」という事だけで映画として ちゃんとカタルシスのあるラストになるという…はっきり言って こんなのスピルバーグにしかできねー最大級のライト&マジックだよ!!w
まぁこの件はスピルバーグファンの間では有名な本当にあったエピソードで、CBSテレビに呼ばれてサミーが…いやさ、スピルバーグがようやく映像の仕事にありつけるという時にプロデューサーから巨匠ジョン・フォード監督のオフィスに案内してもらうというね。きっとテレビの仕事ではなく映画監督志望という若者の一途な姿を見て、もしかすると若き日の自分に照らし合わせて「神様」に会わせてやろうとでも思ったのかね。それだけでも粋なエピソードなんだけど、本編の演出がまたそれに輪を掛けて粋なんだわ。
オフィスに通されてジョン・フォードがランチから戻ってくるのを待っていると、突然ジョン・ウィリアムズの音楽がレコードの針が飛んだみたいにブツっと止まって…そっからシーンの空気が一変するの。
顔中口紅だらけのジョン・フォード…いや、デイヴィッド・リンチがやってきて、そこからまるでリンチの映画みたいなテイストになっていくのよ!!www
葉巻に火を点けようとするんだけど、いつまでもスパスパしていてなかなか終わらない件とか、スピルバーグが演出しているというよりも なんかリンチに映像を支配されちゃったみたいな感じがあってスリリングだしw
その後「地平線(Horizon)」の話をし始めるジョン・フォード。地平線が下(bottom)にある画は面白い(interesting)。上(top)にある画も面白い。でも真ん中(middle)にある画はクッソつまんね(boring as shit)…って言い放つのw そして とっとと出てけ(get the fuck out the my office)ってwww
無茶苦茶な話で訳わかんねーんだけど(笑)、サミーはジョン・フォードに会えたっていうだけで めっちゃ感動してんの。全ての嫌な事を忘れて。
そしてラストカットがまた良い。
仕事にもありつけ ジョン・フォードにも会えて意気揚々とスタジオの大通りを闊歩するサミーの後ろ姿。そこでヤヌス・カミンスキー(撮影監督)が「あ、いけね。地平線はミドルじゃなくてボトムだったよね」とばかりにカメラが一瞬ぐらつきパッとティルトアップすんのwww もう映画史上最高にお茶目なラストじゃない?w
実はジョン・フォードを演じたデイヴィッド・リンチ監督、当初はかなり乗り気ではなくオファーをのらりくらりと拒んでいたらしいのだが、その間を取り持って説得してくれたのが なんと女優のローラ・ダーンだったという。
そっか、ローラ・ダーンっていえば『ブルー・ベルベット』だけじゃなくて『ジュラシック・パーク』にも出てたやん!!…って、最適な人選だよね。ええ話やん☺️
そしたら後日リンチから連絡があって「撮影の数週間前に衣装を送ってくれ」と。そしたら本番に合わせて その衣装を毎日着込んでクッタクタにして撮影に臨んだというエピソード…それだけで もう熱いよなー🔥
映画館で観た時は本当にビックリしたもんなー。前情報入れずに行ったから。その「スピルバーグ作品にリンチが!! しかもジョン・フォード役でぇーっ!!」というサプライズ(本当に劇場で「ギャーッ!!」と叫びそうになったw)は、サミー(スピルバーグ)が実際にジョン・フォードに会った驚きと直結しているっていうねw いやー、50年映画を見続けて本当によかったと思えた瞬間だったよw 大好きな映画がまた1本増えた。
久しぶりに『ルパン三世 風魔一族の陰謀』を鑑賞。
まぁ本作を見ていないという人も多いかと思うので軽く説明しておくと、87年に制作されたルパン三世のOVA作品。といっても実は短い期間ではあるが劇場公開もされているのだが、公式にはルパンの劇場版作品としてはカウントされていないという珍作。
そして本作を珍品にさせてしまった決定打が「主要キャラ声優の総入れ替え」だ。
ルパンを古川登志夫、次元を銀河万丈、五右ェ門を塩沢兼人、不二子を小山茉美、銭形警部を加藤精三が声を当てており「ルパンは山田康雄しか考えられない」と思われていた中での声優交代劇は当時大きな波紋を呼び(しかも劇伴も大野雄二ではない)、長くシリーズ中の「黒歴史」と語られてきた…風魔一族とは そういう作品だ。
しかし僕は公開当時から本作を好意的に見ていたし、77年のいわゆる新ルパンからのオリジナルキャストが全て入れ替わった今こそ、この風魔一族を正当評価してもいいのではと考えている。
本作での声優総入れ替えの真相は今でははっきりしており、まずはギャラの問題(OVAとして構想されていたので予算が割けない)、それと山田康雄氏と制作スタッフとの確執の問題があったと言われている。
山田康雄はそのプロ意識の高さから日頃から制作陣に不平不満をぶつけ衝突も多かった事から、はっきり言ってしまうとスタッフたちからは嫌われていたという。自業自得という気もするが、しかしそれ以上に傷ついたのは熱心な山田ルパンファンであり、アンチ風魔から非難を受けた古川登志夫だろう。
こんなして書いていると誰も得しなかった悲運の作品と思われるかもしれないが、実際に観てみると決してそんな事はない。
メインスタッフは カリ城を手掛けたテレコム・アニメーションで、作監はカリ城で最も有名なカーチェイスシーンを手掛けた伝説のアニメーター・友永和秀。そして大塚康生は監修としてクレジットされており、まさに東映動画から脈々と流れているセルアニメの伝統の最後の総決算ともいえる作品に仕上がっている(まぁ「日本を舞台にした五右エ門版カリ城(のパロディ作品)」と言ってしまえば身も蓋もないがw)。
それと黄金の城が眠る からくり仕掛けの洞窟の件などは まるでインディ・ジョーンズシリーズを観ているような面白さもあるし。
かつての黒歴史も今となっては「ルパン三世のもうひとつの世界線」として楽しみ再評価される事を切に願う次第。
★★★★☆
まぁ本作を見ていないという人も多いかと思うので軽く説明しておくと、87年に制作されたルパン三世のOVA作品。といっても実は短い期間ではあるが劇場公開もされているのだが、公式にはルパンの劇場版作品としてはカウントされていないという珍作。
そして本作を珍品にさせてしまった決定打が「主要キャラ声優の総入れ替え」だ。
ルパンを古川登志夫、次元を銀河万丈、五右ェ門を塩沢兼人、不二子を小山茉美、銭形警部を加藤精三が声を当てており「ルパンは山田康雄しか考えられない」と思われていた中での声優交代劇は当時大きな波紋を呼び(しかも劇伴も大野雄二ではない)、長くシリーズ中の「黒歴史」と語られてきた…風魔一族とは そういう作品だ。
しかし僕は公開当時から本作を好意的に見ていたし、77年のいわゆる新ルパンからのオリジナルキャストが全て入れ替わった今こそ、この風魔一族を正当評価してもいいのではと考えている。
本作での声優総入れ替えの真相は今でははっきりしており、まずはギャラの問題(OVAとして構想されていたので予算が割けない)、それと山田康雄氏と制作スタッフとの確執の問題があったと言われている。
山田康雄はそのプロ意識の高さから日頃から制作陣に不平不満をぶつけ衝突も多かった事から、はっきり言ってしまうとスタッフたちからは嫌われていたという。自業自得という気もするが、しかしそれ以上に傷ついたのは熱心な山田ルパンファンであり、アンチ風魔から非難を受けた古川登志夫だろう。
こんなして書いていると誰も得しなかった悲運の作品と思われるかもしれないが、実際に観てみると決してそんな事はない。
メインスタッフは カリ城を手掛けたテレコム・アニメーションで、作監はカリ城で最も有名なカーチェイスシーンを手掛けた伝説のアニメーター・友永和秀。そして大塚康生は監修としてクレジットされており、まさに東映動画から脈々と流れているセルアニメの伝統の最後の総決算ともいえる作品に仕上がっている(まぁ「日本を舞台にした五右エ門版カリ城(のパロディ作品)」と言ってしまえば身も蓋もないがw)。
それと黄金の城が眠る からくり仕掛けの洞窟の件などは まるでインディ・ジョーンズシリーズを観ているような面白さもあるし。
かつての黒歴史も今となっては「ルパン三世のもうひとつの世界線」として楽しみ再評価される事を切に願う次第。
★★★★☆
スティーブン・スピルバーグ監督作品『フェイブルマンズ』を再見。
映画制作の恍惚と同時に残酷さをも描いた、スピルバーグ作品に一度でも触れた事のある未見の方に是非とも観て頂きたい怪作。
そして本作の白眉というか、思わず巻き戻して何度も観たくなってしまうのがプロムパーティーでの上映会のシーン。
サミー・フェイブルマン(青年期のスピルバーグ自身がモデル)がハイスクールで撮った記録映画『GRAND VIEW HIGH "DITCH DAY" (グランドビュー高校の「おサボりの日」)がプロムのクライマックスに掛けられ 同級生たちに大好評。
だが 主役に据えられた いじめっ子のローガンはサミーの前で泣き崩れる。
「なんで俺をあんな風に撮ったんだ?」と。
ローガンは いじめっ子で大嫌いだが、スポーツ万能で 女の子にモテモテの美男子。サミーは いち映画作家としてローガンを主役に据えて格好良く描く事で作品が良くなればそれで良いし、彼も喜ぶだろうと思ってやったまで。なのにローガンは酷く傷ついた。スクリーンに映し出された自分の姿は虚栄でしかない。つまりフィルムが映し出す本質をローガンは見抜いてしまったのだ。
で、このシーンでスピルバーグは何を言わんとしているのかというと…レニ・リーフェンシュタールの『民俗の祭典(オリンピア)』なんだよね。
リーフェンシュタールとはナチスで数々のプロパガンダ映画を撮った女性映画監督だ。『オリンピア』とは ベルリンオリンピックの記録映画であると共にナチス・ドイツのプロパガンダ映画でもあった。まるでギリシャ彫刻のように美しく切り取られたアスリート達の姿とマッチョでイケメンなローガンを重ね合わせる事は容易だし、何せローガンはサミーがユダヤ人であるというだけで小馬鹿にし、いじめの対象としていたではないか。
つまりサミー…いや、スピルバーグはヒトラー(リーフェンシュタール)がやったのと同じ方法で反ユダヤに対して復讐したとも取れるのだ。そしてそれこそが、黒を白に白を黒に変える「映像の恐ろしさ」なのであるという事を立証して見せたのである。
しかし気になるのはローガンと「俺が泣いた事は二人だけの秘密だからな」と約束したのに、こうして映画にしてバラしてしまった事だwww まぁもう時効だとは思うのだが…やっぱ才能のある奴を敵にまわしてはいけないという好例かw
ドキュメント映画『BELUSHI ベルーシ』観了。
若くしてドラッグのオーバードーズでこの世を去ったジョン・べルーシの伝記映画。
ここで何度も言っていますが、僕は子供の頃からブルース・ブラザーズが大好きで、十代の頃にはもうボブ・ウッドワードのノンフィクション本『べルーシ殺人事件』を読んでいたし、それを下敷きとした映画『Wired (ベルーシ/ブルースの消えた夜)』も観ているが、それだけではわからなかったジョン・べルーシの生い立ちやSNLに至るまでの話などは初めて聞くものも多く、まさに「べルーシ入門」に相応しい出来となっていた。夭逝し決して出演作は多くないので、これをきっかけにべルーシ作品に触れてもいいのかなと。
こうして今振り返るとべルーシは 太くて短く大きな炎を発した蝋燭のようだったように思える。もう完全燃焼というか、その道に進むしかなく才能を出し尽くしたというか。それはアイルトン・セナ等にも通ずるのかとも思えた。R.I.P.
★★★★☆
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