野本かりあのアルバム『カアリイ』をやっと手に入れる!!
さすがに手の甲には書きませんでしたが(笑)、今回は前日日記で書いた所為か、出先でふと『カアリイ』のことを思い出し、わざわざTSUTAYAからHMVへ移動して購入(この手のCDは外資系CDショップでないとまず手に入りません)。
もっとポスト・ピチカート的なものと思っていたのですが『カアリイ』はそれをより煮詰めた感じというか映画のサントラ色がより強くなっていました。
野本かりあのヴォーカルについては、ここで特に書き記すことはないのですが(苦笑)、曲間にインサートされる池田昌子(999のメーテルの声優さんと言った方が通りがいいか)や石坂“兵ちゃん”浩二のアンニュイなナレーションがシビレます!!
それとCDについているブックレット(ブックレットについているCDと言ってもいいが/笑)、これもまたステキ 小西さんのグラフィック魂の総決算というか、これをやりたかったんだろうね、小西さんは。
ページをめくればかりあ嬢の裸・裸・裸!!(ら・ら・らと読んで頂いても結構/笑) こんなことを言っては大変失礼なのだが、野宮さんではさすがにコレはできないだろう(ファンの方、読んでいたら本当にごめんなさい/笑)。小猫・小悪魔、そして女優のイメージ…そう、野本かりあはヴォーカリストというよりは小西康陽監督作品の主演女優“カアリイ”なのだ。
それはゲンズブールにジェーン・バーキンが、ゴダールにアンナ・カリーナがいたように、524にはカアリイということなのであろう。
だいたい曲のタイトルがいちいちシビレる!!(笑)
『アリア、あるいは修道女かりあ』
『私の黒い小猫は悪戯だけど秘密は守る。』
『アデューは悲しい言葉』
『ナポレオン・ボナパルト』
『私が死んでも』
etc.…
それにこれとは直接関係はないのだけれど、同じくレディメイドから出たヘアのアルバムのタイトルなんか
『いま、創られつつあるレコード、あるいは ローマを見てから、死ね』
だからね!!(笑) もうこの10年、524兄さんにヤラレっぱなしよ、アタシ…(笑)
小西さんはこれから野本“カアリイ”かりあ と夏木マリ御大の2本柱でいくつもりなんだろうね。それならバランスも取れて聴く側としても安心だし。
『カアリイ』は部屋のオーディオでお酒でも飲みながら聴くのがベスト。自宅で聴く音楽…これぞまさに“ハウス・ミュージック”である(笑)。
__________
最近F-1の総集編をずーっと見ている…と、言ってもセナ全盛の1989年?94年のビデオですが(笑)。懐かしいなぁ、通せんぼジジイ・アルヌー(笑)。
私は日本でのセナブーム直前、NAエンジンにレギュレーションが戻った89年からセナが亡くなる94年までF-1を見続けていました(今年からまたちょくちょく見始めましたが)。
ホントこの頃のF-1は激しいつばぜり合いの連続で面白かったね
もう私にとってはセナ=F-1であり、いまだに永遠のヒーローなのですが、あれから10年が経ち、今こうして冷静に見直すと激しいつばぜり合いがあったというのもセナのライバル達が後ろから激しくプッシュしていたからであって、そう考えると速さでいったらセナよりもプロストやマンセルの方が速かったのでは!?…と思ってしまう今日この頃(笑)。
あと今セナの戦績を見返すと結構リタイヤが多いんだよねー(苦笑) まさにホームランか三振かのタイプ。
こうして考えるとアイルトン・セナというドライバーはホント努力と信仰の人だね。
本当の天才とはナイジェル・マンセルやネルソン・ピケのような人のことを言うのだろうなぁ、と改めて実感。F-1を辞めた後はスッパリとレースからは身を引き悠々自適の生活…ピケなんか4回くらい離婚して、シーズンオフのほとんどをクルーザーの上で過ごす住所不定の自由人だったからね?(笑)。セナなんかはマシンセッティングの1ミリ以下の違いも乗っていて判ったと言われているが、F-1ドライバーはみんな神経質な人だと思ったら大間違いなのである。
さすがに手の甲には書きませんでしたが(笑)、今回は前日日記で書いた所為か、出先でふと『カアリイ』のことを思い出し、わざわざTSUTAYAからHMVへ移動して購入(この手のCDは外資系CDショップでないとまず手に入りません)。
もっとポスト・ピチカート的なものと思っていたのですが『カアリイ』はそれをより煮詰めた感じというか映画のサントラ色がより強くなっていました。
野本かりあのヴォーカルについては、ここで特に書き記すことはないのですが(苦笑)、曲間にインサートされる池田昌子(999のメーテルの声優さんと言った方が通りがいいか)や石坂“兵ちゃん”浩二のアンニュイなナレーションがシビレます!!
それとCDについているブックレット(ブックレットについているCDと言ってもいいが/笑)、これもまたステキ 小西さんのグラフィック魂の総決算というか、これをやりたかったんだろうね、小西さんは。
ページをめくればかりあ嬢の裸・裸・裸!!(ら・ら・らと読んで頂いても結構/笑) こんなことを言っては大変失礼なのだが、野宮さんではさすがにコレはできないだろう(ファンの方、読んでいたら本当にごめんなさい/笑)。小猫・小悪魔、そして女優のイメージ…そう、野本かりあはヴォーカリストというよりは小西康陽監督作品の主演女優“カアリイ”なのだ。
それはゲンズブールにジェーン・バーキンが、ゴダールにアンナ・カリーナがいたように、524にはカアリイということなのであろう。
だいたい曲のタイトルがいちいちシビレる!!(笑)
『アリア、あるいは修道女かりあ』
『私の黒い小猫は悪戯だけど秘密は守る。』
『アデューは悲しい言葉』
『ナポレオン・ボナパルト』
『私が死んでも』
etc.…
それにこれとは直接関係はないのだけれど、同じくレディメイドから出たヘアのアルバムのタイトルなんか
『いま、創られつつあるレコード、あるいは ローマを見てから、死ね』
だからね!!(笑) もうこの10年、524兄さんにヤラレっぱなしよ、アタシ…(笑)
小西さんはこれから野本“カアリイ”かりあ と夏木マリ御大の2本柱でいくつもりなんだろうね。それならバランスも取れて聴く側としても安心だし。
『カアリイ』は部屋のオーディオでお酒でも飲みながら聴くのがベスト。自宅で聴く音楽…これぞまさに“ハウス・ミュージック”である(笑)。
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最近F-1の総集編をずーっと見ている…と、言ってもセナ全盛の1989年?94年のビデオですが(笑)。懐かしいなぁ、通せんぼジジイ・アルヌー(笑)。
私は日本でのセナブーム直前、NAエンジンにレギュレーションが戻った89年からセナが亡くなる94年までF-1を見続けていました(今年からまたちょくちょく見始めましたが)。
ホントこの頃のF-1は激しいつばぜり合いの連続で面白かったね
もう私にとってはセナ=F-1であり、いまだに永遠のヒーローなのですが、あれから10年が経ち、今こうして冷静に見直すと激しいつばぜり合いがあったというのもセナのライバル達が後ろから激しくプッシュしていたからであって、そう考えると速さでいったらセナよりもプロストやマンセルの方が速かったのでは!?…と思ってしまう今日この頃(笑)。
あと今セナの戦績を見返すと結構リタイヤが多いんだよねー(苦笑) まさにホームランか三振かのタイプ。
こうして考えるとアイルトン・セナというドライバーはホント努力と信仰の人だね。
本当の天才とはナイジェル・マンセルやネルソン・ピケのような人のことを言うのだろうなぁ、と改めて実感。F-1を辞めた後はスッパリとレースからは身を引き悠々自適の生活…ピケなんか4回くらい離婚して、シーズンオフのほとんどをクルーザーの上で過ごす住所不定の自由人だったからね?(笑)。セナなんかはマシンセッティングの1ミリ以下の違いも乗っていて判ったと言われているが、F-1ドライバーはみんな神経質な人だと思ったら大間違いなのである。