お待たせ致しました☆
世界柔道で1週お休みを挟んでフカーツの『電車男』レビューです。
ラス前の第10話は、もー鳥肌立ちっぱなしの1時間ですた!!!!
原作(実話)ではエルメスに2ちゃんのネタばらしをするというくだりが告白→成就後の後日談として巻末に書かれているのだが、それをあえて前倒しにしてクライマックスの危機的展開としたところがこのテレビドラマ版最大の勝因と言えよう。
ポカリスエットのCMのように飛行機雲で呼びかけられたら、本来なら「んなこたぁない!」とタモさんのようにツッコミのひとつでも入れたくなるところなのだが…今回オイラは素直に泣けたよ
「世界(自分)は変われる(変えられる)んだ」
という壮大なメッセージがそこにはあった。
たかがインターネット、されどインターネット…前回その是非も問われ、ひとつの問題定義を投げかけた『電車男』であったが、ラス前にしてあのアクロバティックな展開は ただただお見事の一言だ。
もちろん実際スレ住人がアキバで草の根運動をすることはありえないのだが、あれはあくまでメタファーであり、皆の想いを具現化した映像のマジックである。
私も(みなさんもそうかもしれないが)実はネットで非常に辛い別れを経験したり、励まされた経験があるのだが、そうした経験(感覚)がないと このテレビドラマで描かれていることは理解できないのかもしれないと思った。
しかしそれを非常に解りやすく具現化し、第10話クライマックスの高揚感を高めたのが、あの愛すべきスレ住人たちがとった行動だ。
インターネットで世界は確実にその距離を縮め、人と人(他者同士)は現実社会とはまた別の次元で(SFで言うところの電脳社会と言ってもいいのかもしれないが)着実に強大なつながり(ネットワーク)を持つことができた。
しかし、それでもなお 戦火や貧困は絶えず、今も世界のどこかで人は血を流し息絶え、飢えに苦しんで悲しみの涙を流している。それは不景気がどうとか、引きこもりがニートがどうこうという些細なレベルを超越した大きなくくりでの我々が抱えている世界的問題(病巣)だ。
でも、みんなの気持ちがひとつになった時、「世界は変われる」のだと私は信じたい(いや、信じている)。これは個人の意識の問題である。今私が言ったことを絵空事、理想論、啓示的と笑う者は、それを他人事として捉えているからであろう。奇跡は空から舞い降りるものではなく、神も降臨はしないのだ。バスケットをもう一度やってみようという想い、妻ともう一度やりなおしたいという想い…それを後押ししたのは電車男(の行動)であり、インターネットでの一期一会なのかもしれないが、最終的な決断は「自分の意志」によってなされているものなのだ。そしてその意志によって何かを(もしかしたら世界を)変えることができるのだ…という大テーマをネット社会(『電車男』という都市伝説)というものを通じて制作者たちはメッセージとして視聴者に送りたかったのであろう(色恋沙汰うんぬんをさておき)。それでこそモニターもしくは紙の上だけで繰り広げられていた『電車男』という物語に厚みをもたせ実話とほぼ同じスパンで、公共の電波を利用したテレビドラマとして描いた価値があったというものではなかろうか。
もしかするとテレビドラマ版の『電車男』は最終章に向け、普通の恋愛ドラマという枠を越えて新たなるネクスト・ステージへと向かおうとしているのかもしれません。
さぁ、我々があとできることといえば特大の防空壕を掘り、エンディングで目撃するであろうメガトン級の大爆撃(大花火)に備えるだけである(笑)。
そしてテレビに向かってこう叫ぶことだろう…
「メディーック!!」
と(笑)。
皆、心して待たれい!! そしてハンカチのご用意を!!(っつーかオイラはバスタオル抱えて観ます!!/笑)
ま、来週はこのコーナーも最後となるわけですが、次回最終回はテレビドラマ版(フィクションとしての)『電車男』の総括を致しますので乞うご期待。
ではでは☆
世界柔道で1週お休みを挟んでフカーツの『電車男』レビューです。
ラス前の第10話は、もー鳥肌立ちっぱなしの1時間ですた!!!!
原作(実話)ではエルメスに2ちゃんのネタばらしをするというくだりが告白→成就後の後日談として巻末に書かれているのだが、それをあえて前倒しにしてクライマックスの危機的展開としたところがこのテレビドラマ版最大の勝因と言えよう。
ポカリスエットのCMのように飛行機雲で呼びかけられたら、本来なら「んなこたぁない!」とタモさんのようにツッコミのひとつでも入れたくなるところなのだが…今回オイラは素直に泣けたよ
「世界(自分)は変われる(変えられる)んだ」
という壮大なメッセージがそこにはあった。
たかがインターネット、されどインターネット…前回その是非も問われ、ひとつの問題定義を投げかけた『電車男』であったが、ラス前にしてあのアクロバティックな展開は ただただお見事の一言だ。
もちろん実際スレ住人がアキバで草の根運動をすることはありえないのだが、あれはあくまでメタファーであり、皆の想いを具現化した映像のマジックである。
私も(みなさんもそうかもしれないが)実はネットで非常に辛い別れを経験したり、励まされた経験があるのだが、そうした経験(感覚)がないと このテレビドラマで描かれていることは理解できないのかもしれないと思った。
しかしそれを非常に解りやすく具現化し、第10話クライマックスの高揚感を高めたのが、あの愛すべきスレ住人たちがとった行動だ。
インターネットで世界は確実にその距離を縮め、人と人(他者同士)は現実社会とはまた別の次元で(SFで言うところの電脳社会と言ってもいいのかもしれないが)着実に強大なつながり(ネットワーク)を持つことができた。
しかし、それでもなお 戦火や貧困は絶えず、今も世界のどこかで人は血を流し息絶え、飢えに苦しんで悲しみの涙を流している。それは不景気がどうとか、引きこもりがニートがどうこうという些細なレベルを超越した大きなくくりでの我々が抱えている世界的問題(病巣)だ。
でも、みんなの気持ちがひとつになった時、「世界は変われる」のだと私は信じたい(いや、信じている)。これは個人の意識の問題である。今私が言ったことを絵空事、理想論、啓示的と笑う者は、それを他人事として捉えているからであろう。奇跡は空から舞い降りるものではなく、神も降臨はしないのだ。バスケットをもう一度やってみようという想い、妻ともう一度やりなおしたいという想い…それを後押ししたのは電車男(の行動)であり、インターネットでの一期一会なのかもしれないが、最終的な決断は「自分の意志」によってなされているものなのだ。そしてその意志によって何かを(もしかしたら世界を)変えることができるのだ…という大テーマをネット社会(『電車男』という都市伝説)というものを通じて制作者たちはメッセージとして視聴者に送りたかったのであろう(色恋沙汰うんぬんをさておき)。それでこそモニターもしくは紙の上だけで繰り広げられていた『電車男』という物語に厚みをもたせ実話とほぼ同じスパンで、公共の電波を利用したテレビドラマとして描いた価値があったというものではなかろうか。
もしかするとテレビドラマ版の『電車男』は最終章に向け、普通の恋愛ドラマという枠を越えて新たなるネクスト・ステージへと向かおうとしているのかもしれません。
さぁ、我々があとできることといえば特大の防空壕を掘り、エンディングで目撃するであろうメガトン級の大爆撃(大花火)に備えるだけである(笑)。
そしてテレビに向かってこう叫ぶことだろう…
「メディーック!!」
と(笑)。
皆、心して待たれい!! そしてハンカチのご用意を!!(っつーかオイラはバスタオル抱えて観ます!!/笑)
ま、来週はこのコーナーも最後となるわけですが、次回最終回はテレビドラマ版(フィクションとしての)『電車男』の総括を致しますので乞うご期待。
ではでは☆