かーやん☆ブログ

稀代のボンクラDJ あるいは プラモデルおじさん

2014年11月

幸せの黄色いハンカチ

松竹、’77年作品。

刑務所から出所してくる健さんっていうのが既に『網走番外地』シリーズなんかのセルフパロディーになってるんだな。

っつーか、武田鉄矢も桃井かおりも まるで誰かがやってる ものまねみたいというか、こっちもセルフパロディーだよな、今となってはw

この頃の武田鉄矢なんてホントにマウンテンゴリラそのものだし(爆っ)、桃井かおりも なんだか若い頃の都はるみ みたいだったw

それよりも倍賞千恵子が可愛かったね。まさに下町の太陽☆w

しかしコンドームが1箱1000円とは…今とあんまり変わらないという事は当時えらい高かったっていう事だよな。超高級品w 官製はがきが20円でポケットティッシュが30円、味噌ラーメンが500円で高いとか言ってたしなw


で、最後に本作のラストがすごく気になったので ここに記しておく。

タイトルにもある「黄色いハンカチ」のシーンだ。

車で元妻のいる家に向かい、まずは武田鉄矢が掲げられた無数の黄色いハンカチを見つける。その前に彼に前ピンがきていて背後に薄っすらと黄色いハンカチが遠目に見えるカットを挟んでいる。この演出はなかなか良い。

しかしおかしいのはその後である。第一発見者が武田鉄矢と桃井かおりであるのは別にいいのだが「あっ!!」と見つけたところでハンカチの画(引きではあるのですが)をインサートしちゃってるんだよね。

本当だったら そのカットは挟まないで、健さんが初めて見たところでバンとハンカチが大写しになった方が演出としては効果的だったような気がするのですが…と思わず、松竹の大巨匠・山田洋次をDISってみましたwwww

まぁね、山田洋次のような名匠であってもこういう失敗をするんですよw


ところで前回レビューした『網走番外地 南国の決闘』といい、この『幸せの黄色いハンカチ』といい、不謹慎な言い方かもしれないが、健さんが亡くならなければ こうして見る機会はなかったであろう。

まずはこうした映画との「出会い」のきっかけをくれた健さんに感謝せねばならない。合掌。

で、ここで死者に鞭打つわけではないのだが、正直に言うと この頃の健さんの演技もまだまだであるw

健さんの演技は後年になればなるほど味が出てよくなっているように気がするな。

そんな「不器用」だった健さんの映画人生を これを機に もっと振り返られればと思います。


★★★☆☆

網走番外地 南国の対決

東映、’66年作品。

網走なのに南国とは是如何に(笑)…というわけで、高倉健さんが亡くなったという事で初めて『網走番外地』シリーズを拝見致しました。

舞台は返還前の沖縄…というわけで、もう舞台が既に網走ではなかったりするのだったw

まぁクレージーキャッツだって映画の中では香港とかラスベガスとかメキシコとか行ってたからね。健さんも出所後は観光ですよ、観光(いや、本当はそんな話ではないのだがw)。

返還前の沖縄という事で、もちろん車道は右側通行。横文字の看板や標識など、今となっては歴史的資料映像として見ても楽しめるかと。

オイラは日本のヤクザ映画ってあんまり好きじゃないんだけど、このシリーズは拳銃とかをやたらむやみに撃ったりとかしないところがいいよね。

それと石井輝男の演出が安定していて巧いので、結構普通に観られた。

今回初見のシリーズであったが、田中邦衛や千葉真一、由利徹、嵐寛寿郎はレギュラーであるという事は途中から観てもわかった。なかなかの親切設計ちょっと1作目から観てみたいシリーズものですね。

それと若き日の大原麗子が今見ても超絶カワユス!!(ズベ公役だがw) これを見るだけでも充分に価値がある1本だよ、ホントに☆w

ヤクザ映画でありながら 親子の絆とかも描いていたりするんだけれども、人の情がまだあった時代の物語だよね。

それと肝心な健さんなのだが、正直言って この頃はまだそんなに演技は上手くはない(苦笑)。

この頃の健さんはきっと「こんな(ヤクザの)役がいつまでも続けられるわけがない…」と壁にぶつかっていたんではないかなと勝手に推測。

まぁ東映を離れてから役者として ひと皮ふた皮剥けていい感じになっていくわけなのだが。


★★★☆☆

【エノニャン通信344】

【2014.11.22】撮影分



おしりがセクスィーなフカキョン☆w




向井亜紀☆w




こげるぞ、エスカーくん!!w




神様降臨☆w




でっぷり おひるねちう☆w




ぱどめちゃん☆

この子はオイラが撮影を始めた7年前から ずーっといる子です。




何かを狙っている




か、課長っ!!wwww




昼寝のプロ☆w




冬樹くんと にくきう☆w




課長の全貌wwww




茶屋猫 その1




茶屋猫 その2




ぱどめちゃん、ふたたび




海と猫とYシャツと私w




坊さん、健在でした!!




やたらと なつっこい 石段ニャンコのルーキー・デルモ☆w




キリリ、デルモ立ち☆w




路地裏デルモ☆w




黒ごまくぅーん☆




駐猫場の新猫・モサ美☆w




夢のスリーショット☆w




そしてラストは おひさしぶりの みゅうちゃんです☆


で、今回は恒例・秋の撮影会でした。

遠路はるばる お越し頂いたみなさん、どうも ありがとうございました☆

次回 河津桜が咲く頃に またお会いしましょう。





【エノニャン通信345につづく】 

かーやんのカリ城論【後編】

そういえば去年の今頃に『ルパン三世 カリオストロの城』の作品分析をしたのを思い出した(ブログ未発表)。

そこであらためて分かった事があるので、今回ここに記しておく。

まず この『ルパン三世 カリオストロの城』という作品は 3つの縦軸で構成されている。それは

カリオストロ伯爵への復讐(ゴート札の真偽)

クラリスの救出(青二才だった頃に命を救ってもらったお礼)

指輪の謎(隠された財宝の発掘)

で、ある。

話が進むにつれ その謎は徐々に明らかとなり、ラストには この3つの謎(軸)が一気に解決を迎え、大団円のうちに物語は終了する。

つまり得られるカタルシスも3倍というわけなのだ。

だからカリ城は見終わった後に清々しいのだw


それと作品分析という事で語っておきたいのは

『ルパン三世 カリオストロの城』という物語は 一体何だったのか

という事。

オイラから言わせたらカリ城は、ルパンとクラリスの恋愛物語でも、ルパンと伯爵の確執の物語でも、ルパンと仲間たち(次元・五ェ門・不二子)の友情物語でも、ルパンと銭形の敵味方を超えた結びつきの物語でもない。カリ城とはズバリ…

ルパンの過去(の精算)と現在の物語

つまり 青二才だった頃の自分と決着というか決別するために、この復讐劇に自ら乗り込んでいったルパン三世という人間の個人史なのだ。

高級スポーツカー・ベンツSSKを乗り回し、カリオストロ伯爵に煮え湯を飲まされた過去の若かった自分を否定し、現在はイタリアの大衆車・フィアット500に乗り、カップうどんをすする おっさんルパンという…まぁなんとも枯れた話なのであるw


そして今回こんな面白い仮説も立ててみた。それは…

もしも ルパン三世という物語を全く知らない人が 初めてカリ城を見たらどう思うのか

というものだw

まぁこのブログを読んでくださっている人のほとんどが 子供の頃からルパン三世をテレビ等で何度も繰り返し見ていて、そのストーリーや人間関係・キャラクターを知った上で カリ城を見ているのだと思うのですが、果たして そうした予備知識がまったく無しにカリ城を 一本の映画として観る事は可能のか…つまり、そうした観客を想定して宮崎駿はカリ城を作っていたのかどうかというのをこれから検証してみたいと思うw

まずは次元大介から。

次元といえば、「射撃の名手」だ。

もちろん初めてルパン三世を見る人はその事を知らないわけなのだが、冒頭 追っ手の車のタイヤに次元が357マグナムを撃ち込むが防弾タイヤで跳ね返されてしまい、その後 特殊な徹甲弾のような弾一発で見事仕留めるという名シーン…つまりこれだけでこいつは防弾タイヤも撃ち抜くような拳銃を使う奴なんだな」という事は充分に分かるw

それと このカーチェイスシーンで もうひとつ示しているのは、テレビシリーズでも幾度となく出てきた「ルパン三世は無類のカーレース好き」という基本設定だ。

そして五ェ門は見せ場が少ないのだが、火の粉のついたルパンの衣服だけを刀で一瞬のうちに切り裂き、あの「またつまらぬ物を斬ってしまった…」という名台詞を吐かせた。まぁそれだけなら ただの器用な侍で話は終わってしまうのだが(笑)、その後 次元のマグナムをも跳ね返したカゲたちの鋼鉄の鎧もバッサバッサと一刀両断にしてしまう。これで「なんでも切れてしまう」斬鉄剣の使い手であるという説明が終了w

で、不二子の見せ方は実に巧い。劇中「時には味方、時には敵、恋人だった事もあったかな?」と台詞での言及もあるのだが、ルパンが窮地に立たされ指輪を差し出さなければならなくなった時に不二子がクラリスに放った

「襟の裏よ。ルパンはいつもそこに隠すわ」

という台詞が とんでもなくエロいw 

これだけで おこちゃまのクラリスには到底理解できない、ルパンと不二子のただならぬ「男女の関係」がよく説明されている。

襟の裏に盗まれてはいけない大事な物を隠す事を知っているというのは、服を脱がせた事がある人間にしか分からない…つまりそういう関係であるという事を暗に示しているわけだ。

こうしてあらためて注意深く見てみると、宮崎駿はいちげんさんの観客にも充分ルパン三世の世界観を理解できるように、一本の映画としてカリ城を作っている事がよく見て取れる。


では 続いて論ずるのは…

果たして『ルパン三世 カリオストロの城』には穴はないのか問題

だw

約100分というフォーマットで宮崎駿が描いた 凝縮されたルパン三世の世界観、前回から自分はカリ城の事をずーっと褒めちぎっているが、冷静に見て物語としておかしなところがないか…ちょっと検証してみたw

まずおかしいのは カリオストロ伯爵とカリオストロ公国についての謎である

カリオストロ伯爵は ふたつのカリオストロ家に代々伝わる指輪の言い伝えの事を知っており それがお宝の鍵となっている事まで知っているというのに、その謎解きの方法と 肝心な お宝の正体について何も知らないという大マヌケっぷりwwww

それなのに わざわざ政略結婚までして指輪を手に入れようとしているのである。

でも その謎は あっけなくルパンが解いてしまったわけで、結局 天敵であるルパンがいなかったら分からずじまいだったじゃんというw

それと気になったのは、偽札造りが小さな公国の経済を支えるために果たして効率の良い事業なのかどうかという問題wwww

ICPO本部では、某国が仮想敵国の経済を混乱させるために偽札を大量発注しているのではないかみたいな説明がなされていたけれど、そんな事大胆にやってたらすぐにバレるんじゃね?…とw それといくら国として資源(観光資源も含む)がないといっても、偽札造りの方が圧倒的にコスト高だと思うんだけどねぇ。いくら太古の昔から偽札事業に取り組み、歴史の裏舞台で暗躍していたとはいえ。現代の経済の規模では現実問題無理っしょ!!w


まぁ他にも語りたい事は まだまだいっぱいあったんですけどねぇ。

たとえば

カリオストロ伯爵=ゲイ説

とか(笑)

ルパンと銭形が脱出した先が何故 棺桶だったのか

とか(この上記2つは先日思いついたばかりw)

カリオストロ家の青い陰(影)の話

とか

ルパン三世と機動戦士ガンダムの関係性

とか…。

でも それはまたの機会にとっておきたいと思いますwwww


ではでは、長々と2回に分けて語ってまいりましたが 今回はこの辺で。

ご静聴ありがとうございました☆

かーやんのカリ城論【前編】

今まで当ブログでは『となりのトトロ』(カンタ裏主人公説)や『紅の豚』(マルコ・パゴットは如何にしてポルコ・ロッソになったのか論)等、宮崎駿監督作品について熱く自論を展開してまいりました。

で、今回語り尽くすのは『ルパン三世 カリオストロの城』についてです。

以前にも当頁で何度か書き下ろした事があるのですが、今回新たに再編致しました。

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以前 オタク評論家の
唐沢俊一氏が「カリ城否定派」の立場として、カリ城の作品としてのアラについて語っており、そのひとつとして「物語の整合性」について論じていた。

国営カジノの大金庫から盗んだゴート札(偽札)がきっかけとなり、ルパン一味はいざカリオストロ公国へ乗り込むわけですが、唐沢氏は「その動機・必然性がちっとも描かれていない」と その時 指摘していた。

だが、実際にはそんな事はない。ちゃんと描かれている。

ルパンは何故にカリオストロ公国へと忍び込んだのか…それは

カリオストロ伯爵への復讐

に他ならない。

ルパン曰く「青二才だった」頃に臨んだゴート札の謎解き…しかしその時ルパンは惨敗を期した。そして国営カジノの偽札を見た瞬間にその事を思い出し、急遽カリオストロ公国へと向かう…というような演出がなされている。

で、ここからは私の仮説なのですが…

実はルパンは国営カジノにゴート札があるということをあらかじめ知った上で盗みに入ったのではなかろうか

と。

つまり大量の札束を見て「んんっ?」と偽札だと気づき、何かを思い出したかのように見えた あの一連の行動が全て、次元をカリオストロ公国へ連れていくためにルパンが打った芝居・演技だったとしたら…。

もしルパンが国営カジノにゴート札があるのをあらかじめ知っていた上で盗む事によって自らきっかけを作り、その既成事実で次元をそそのかしてカリオストロ公国に行っていたとしたら…これで辻褄は合うし、物語の整合性も出てくるのだ。

よくよく考えてみるとルパンは常に全編に渡って取り巻きの人間を実にうまく利用して行動している。次元は前述の通り、ルパンの演技に乗せられて同行する事に(これはあくまで私の推測ですが)。五ェ
門はあまり事情をよく知らぬままルパンに呼び出されて後日 のこのこと遅れて参上(笑)。そして不二子は独自に城内へ潜入し先に偽札の謎に挑んでいたが、ルパンはそれをも お宝発掘のためというよりはクラリス救出のために利用する。で、仲間だけではなく天敵・銭形警部も自ら通報により呼び出して城内潜入のために利用しているのだ(その後は逆に城外への脱出や、偽札を全世界に知らしめるテレビ中継でも利用する事に)。

ここまで虎視眈々と伯爵への復讐を企ててきたルパンだが、そんなルパンでも本当にすっかり忘れていた事があった。

それがクラリスの存在だ。

これは別に演技ではなく、カーチェイスで助けた少女がしていた指輪を見るまでクラリスの事はすっかり忘れていたものを思われる(後に述懐もしているが)。

何故なら 盗んだ金がゴート札だと気がついた時(演技)と、指輪を見てクラリス(青二才の時分に命を救ってくれた少女)の事をふと思い出した時のルパンの驚いた顔(シリアス顔)は明らかに異質なものだったからだ。これは宮崎駿がその違いを明確にするために意図的にやった演出だと自分は解釈する。

で、ここから話は復讐譚からクラリス救出劇へとシフトしたかのように一見思えるのだが、「クラリスを助け出す(盗む)」という行為も 実はカリオストロ伯爵への復讐の一端だったのではなかろうか(もちろん青二才だった頃に助けてもらった恩返しという意味合いもあるが)。

なので私は世間でよく言われるルパンはクラリスのことを愛していた」という説には反対なのである。

ルパンは 世界中に恥をさらし悔しがる伯爵の姿見たさにクラリスを救い出し奪った…つまり

ルパンはクラリスまでをも利用していた

と考える。実に策士であり、大人だw

しかしクラリスは初恋レベルとはいえ、ルパンに対して恋心を抱いていた(いや、他に頼れる者がいなかっただけかもしれないが)。

その証拠にクラリスは「私も泥棒の仕事を覚えるから連れて行って!」とルパンに抱きつき懇願するわけだが…
その時のルパンのを思い出してみてほしい。

まるで鳩が豆鉄砲をくらったかのようにビクッと驚き、総毛をビリビリと立たせているではないか。

あのリアクションは

「えっ!? オレ別にそんなつもりで助けたわけじゃなかったんだけども…」

という風に見えなくもない。

そもそもルパンの目的
クラリス救出ではなかったし、恩返しという意味合いがあったとはいえ、むしろそれを復讐のために利用していたわけなのだから。

そしてルパンは伯爵に向かって「ロリコン伯爵」とまで言い切っているのである。

それは同時に「俺(ルパン)もオッサンではあるけれど、ロリコンではない」と表明していることに他ならない。何故ならリコンはロリコンに向かって「ロリコン」とは言わないからだw

そう考えるとやはり恩人であっても

ルパンはクラリスを一人の女性としては見ていなかった

というのが妥当だと思われるのだが、如何だろうか。

ルパンの帰るべき港は やはり峰不二子なのだ。

そしてルパンはクラリスを旨くなだめて、しかも「おでこに」チュッなのだ。


これもルパンがクラリスを子供扱いしている証拠である。

まぁクラリスが宮崎駿の理想の女性像である事は間違いないのだろうが(少なくとも不二子よりは)、その想いをあえてルパンに投影しなかった事で映画(物語)として成立させているのだ。

更にまた私見を付け加えさせてもらうと、ルパンは 伯爵への復讐、そしてゴート札の謎解きさえできれば泥棒稼業を引退してもいい…という心持ちで この仕事に臨んだはずである(カリ城でのルパンはもう既にオッサン化していたし/笑)。そう、事実上 カリ城は

ルパン三世の最終回

なのだ。

で、本当の(TVセカンドシリーズ)最終回(第155話)さらば愛しきルパンよ』も宮崎駿が照樹務というペンネーム(アニメの制作会社・テレコム・アニメーションフィルムを文字っている)で演出をしているのだが、宮さんは当初 銭形に変装していた本物のルパンに緑色のジャケットを着させたかったらしい。つまり赤ジャケ(TVシリーズ)のルパンは全て偽物だったという
「青二才」だったルパンへの否定とも取れる 実に大胆な結末であった(そういえば銭形に変装というくだりはカリ城そのものだ)。つまり その最終回の1年程前にカリ城で、最終回では幻となってしまった緑ジャケ(本物)ルパンを登場させているのだ(この時TVシリーズもオンエア中で、そちらは赤ジャだったのにも関わらずあえて)。

そして指輪を手に入れ 謎を解き明かし、手に入れたお宝は「ポケットに入らない」古代ローマの遺跡と「あなたの心」だった。

そう、つまりどんな大金や宝石にも換えられぬ この究極のお宝と言うべき手にする事ができないふたつの宝物」(炎のたからもの』)を手に入れた時点で、ルパンには もう盗むべきものはなくなってしまった…つまりそれは

大泥棒・ルパン三世の終焉・廃業

を意味する、というわけなのである。

宮崎駿は「ルパン三世というモンスターにとどめを刺す」つもりでルパンの、そして自分のキャリア(アニメ)の集大成をカリ城で実現したのだ。ちなみに これと同じような「語(世界観)の構築と破壊」を押井守は『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』や『機動警察パトレイバー2 the movie』等で延々と繰り返し続けている。

しかし それにはひとつの大きな誤算があった。それはひとり歩きし、イメージが肥大化し過ぎたキャラクターにとどめを刺したつもりが いつの間にか「カリ城のルパンこそが本当のルパン」というパブリック・イメージを逆に植え付けてしまったのだった。大衆車・フィアット500に乗り、カップのきつねうどんを食べる、わざとかっこ悪く描かれた「おっさん(宮崎)ルパン」だったのに…これにはモンキー・パンチも宮さんも困惑しただろうw


【後編に続く】


※後編では未公開の新作カリ城論を展開させます。乞うご期待☆ 

裸の銃を持つ男

なーんか脳味噌の細胞を1グラムぐらいしか使わないで映画を観たなーと思い立ち、昨日借りてきたレスリー・ニールセン主演の『裸の銃を持つ男』(笑)を久しぶりに観たのですが、思っていた以上にくだらなかったwwww

15秒に1回笑わす感じで小ネタをぶっこんでくるので、何も話す事はありませんw 話したらもう全てがネタバレになっちゃうんでw

しかし このシリーズを作った ザッカー兄弟って今何やってるんだろうねぇ? 80年代には他にも『フライング・ハイ』とか『トップ・シークレット』とかもあったけどさぁ。

この手のコメディって一時期『ホット・ショット』や『最終絶叫計画』そして近年だとエドガー・ライトとサイモン・ペグのダメコンビ(笑)やハングオーバーシリーズなんかに引き継がれていると思うんだけれども、今の時代 受け入れられないんですかね、こういうナンセンスというか 馬鹿コメディはw

面白かったらパート2や3も観ようかと思ったけど…別にもういいや。おなかいっぱいw

冒頭で ホメイニ、アラファト議長、カダフィ大佐、ゴルバチョフにアミン(食人)大統領のそっくりさんが出てきたのには ちょっと時代を感じたw

そしてその偽物大集合感はまさしく

新宿・
そっくり館キサラ的

だったwwww



★★☆☆☆

ジュラシック・パークⅢ

実はコレ、スピルバーグの監督作品ではないのですが(製作総指揮として参画。監督は『ミクロキッズ』『ジュマンジ』のジョー・ジョンストン)、勢いに乗ってジュラシック・パークシリーズ第3弾の『ジュラシック・パークⅢ』もついでに鑑賞w

今回は 2作目では出演しなかったサム・ニールとローラ・ダーンが帰ってきた!!(そして今回はジェフ・ゴールドブラムの出番は無し)

そしてメインテーマはジョン・ウィリアムズ(それ以外のスコアはドン・デイヴィスによるもの)なので 嫌が応にもジュラシック・パーク感が高まろうってなもんなのですが、でもやっぱなんか違うんだよねーw まぁ2作目よりは短くてまだ見られたけどw

3作目という事で ホラー度は更に上がっていましたよ!!(しかもB級度もアップw) 飛行機が恐竜島に落っこちちゃって孤立無援に…そしてひとりずつ恐竜の餌食になっていく様は まさにジェイソン(13日の金曜日)そのものなんだよなぁw スピルバーグの大好物であるガイコツも出てくるしね(しかし8週間であんなに骨化するかなぁ?w)

まぁ今回も とにかく人が食われる食われる!! もう恐竜島は人肉パーティーですよ、奥さんっ!!w スピルバーグって人が食われるシーンを撮る口実として恐竜映画を作っているとしか思えないよなぁ~w どんだけマニアなんだw


で、この3作目には腑に落ちない点が多々ある。たとえば 過去にジュラシック・パークで散々酷い目に合い 恐竜島へ行く事を頑なに拒んでいたはずなのに、結局また金(発掘資金)に目が眩んで懲りずに行ってしまった(当初着陸しないという条件付きでしたが)グラント博士(サム・ニール)とか(しかも貰った小切手は不渡りだったというオチ付きw)。だから恐竜の卵を島外に持ち出そうとしていた助手に対して説教をしても何の説得力もないんだよなー。お前も同じ穴のムジナやんっ!!…ってね(苦笑)。

Tレックスよりもデカくて凶暴で頭の良い肉食恐竜・スピノサウルスの登場や、CGの発達により空飛ぶ恐竜・プテラノドンまで自在に描けるようになった事で よりインフレ化が進んだ3作目だったけど、次回作はどうなるのかね?

なんでも4作目『ジュラシック・ワールド』は来年2015年に公開予定で、スピルバーグはまたもや製作総指揮に回るとの事。

ちょっと面白いのは近年『パシフィック・リム』US版『ゴジラ』で当てたレジェンダリー・ピクチャーズと スピルバーグのアンブリン・エンターテインメントが共同製作するという点だ。もうTレックスとスピノサウルスとのバトル・シーンは完全に『ゴジラの逆襲』と化していたし(それをレジェゴジのゴジラとムートーに置き換える事は容易だ)、そこにラドン(プテラノドン)まで出てきちゃったらもう『三大怪獣 地球最大の決戦』だよなw

まぁおそらく3Dでの公開になるでしょうから、これはちょっと期待しちゃってもいいのかなぁ?w やっぱゴジラだけでなく、3Dでジュラシック・パークの恐竜たちも見てみたいからねぇ☆


★★★☆☆

ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク

『ロスト・ワールド/ジュラシック・パーク』を初めて観た。

ご存知の通り、空前のヒット作『ジュラシック・パーク』の続編なわけだが、意外に思うかもしれないが 実はスピルバーグが監督作で続編を作ったのはインディ・ジョーンズシリーズ(計4作)と このジュラシック・パークシリーズの2作品だけだ(3作目は製作総指揮のみ)。まぁ製作総指揮作品には続編ものが多いので混同してしまうのは無理もないのだが(『バック・トゥ・ザ・フューチャー』『グレムリン』等)。

今回は手っ取り早く結論から申し上げよう。

本作は前作以上に スピルバーグ版『ゴジラ』であり、ジェイソン(『13日の金曜日』)なのであるw

巨大で凶暴な肉食獣・Tレックスが文明社会で大暴れし、破壊する様を描きたい…普段 続編をあまり好まないスピルバーグ(インディ・ジョーンズシリーズは どちらかというとジョージ・ルーカスの色も濃いので)を駆り立てたのは これに尽きるのだと推測する。

それと Tレックスのオス(お父さん)が船で連れ去れ、都会の見世物小屋(パーク)に送られるというプロットから容易に想像できるかと思うが、これは怪獣映画の原点『キングコング』へのオマージュでもあるわけだ。

そして この『ロスト・ワールド』公開の翌年に 悪名高きローランド・エメリッヒ版の『GODZILLA』が封切られた。

なんかここまでやるんだったら別にスピルバーグに『ゴジラ』を撮らせてやってもよかったんじゃね?…とか思ってしまうのだがw

あと古代の恐竜が大都会で大暴れ…というストーリーでふと思い出したのが『13日の金曜日 PART8 ジェイソンN.Y.へ』であるw

Tレックスもジェイソンも 要は

おのぼりさん

なのだwwww

「せっかく田舎(孤島)から来たんで、
ちょっとサンディエゴを観光してみました~」的なw

で、今回は前回以上にバンバン人が食われるのでホラー要素もかなり高く、幼い子供が観たらトラウマ必至な内容だった(苦笑)。

もうここまで来ると立派な

グルメ映画

であるwwww しかも食人限定の(いや、犬も食ってたなw)。


あ、そういえばグルメで思い出したけど、本作でヒロインを演じていたジュリアン・ムーアは『ハンニバル』にも出てたな。『ハンニバル』といえば食人…でもあるのですが(苦笑)、言わずと知れた『羊たちの沈黙』の続編なわけで(ジョディ・フォスターの代役を務めた)、この『ロスト・ワールド』も続編でローラ・ダーンの代わり…そう考えるとジュリアン・ムーアって相当な便利屋だよなwwww いい役者なんだけど。

で、話をホラーに戻すが、恐竜狩りのシーンにまたスピルバーグの鬼畜っぷりが実によく出てるんだよなぁ~w どうしても恐竜を虐待(捕獲)するシーンの方が活き活きしちゃうというか(苦笑)。それとそこで出てくるやたらとメカニカルな狩猟用のジープとか必要以上にカッコイイの!!w 結局『シンドラーのリスト』でホロコーストを描いても彼の病気(残虐嗜好・メカ好き)は ちっとも治っていなかったwwww


んでもって 今回も『ジュラシック・パーク』の時と同様にタイム計測をしてみたのだが、そこで興味深い事実が判明したのだった。

冒頭トカゲみたいにちっこくて可愛らしい恐竜がいきなり出てくるのだが(しかし実は結構エグい肉食獣である事が後に判明w)、それから大ぶりなステゴザウルスが姿を現すまでに映画開始から22分、そしてお待ちかねのTレックス登場までが54分(本編の約中間部)…と見せ場の構成が前作の『ジュラシック・パーク』とほぼ一緒だったのだw


それと最後に語っておきたいのは 撮影監督のヤヌス・カミンスキーについてである(注:オイラはどちらかというとスピルバーグ好きというよりは ヤヌス・カミンスキーのファンなので、これからこのレビューではよく名前が出てくるかと思いますので何卒ご承知の程をw)。

前作『シンドラーのリスト』に続いての登板なわけだが、『シンドラーのリスト』のような重厚感のある文芸的な映画とはまさに対極に位置する 真の娯楽映画である本作でもヤヌス・カミンスキーが抜擢されたというのにはまず スピルバーグからしたら自分にオスカーをもたらしてくれたキャメラマンだから絶対に手放したくない」という気持ちがあっただろう(ちなみに前作『ジュラシック・パーク』の撮影監督は バック・トゥ・ザ・フューチャーシリーズも手掛けた ディーン・カンディ)。で、現に『シンドラーのリスト』以降のスピルバーグ監督全作品で彼は撮影監督をしている。

そして前作『ジュラシック・パーク』との映像の整合性というのもあるので、よく見てみるとカミンスキーがスピルバーグ(もしくはジェーン・カンディ)の作風にかなり寄せて撮っている事がわかる。

一見地味ではあるのだが、雨が降りしきるナイトシーンで、外からトレーラーの割れたフロントガラスに、そして車内の奥の方へとワンカットでググッとキャメラが入り込むシーンや、崖から人間と一緒にキャメラが滑り落ちるシーンなどで カミンスキーの非凡なテクニックを垣間見る事ができる(まぁ今ではオールCGによる加工や、デジタル化された小型カメラで何でも簡単にできるようになってしまったが)。

しかし高水準のスピルバーグ監督作品の中にあって、ちょっとアベレージ低めの作品だよね。実際『ジュラシック・パーク』ほど話題にもならなかったし、前作以上に設定にも無理があったし…まぁその程度の作品でした、ハイw


★★★☆☆

コント55号とミーコの絶体絶命

松竹、'71年。コント55号全盛期に作られたコメディ映画。

東宝では先輩のクレージーキャッツが活躍していたが、時代的には それと入れ替わるようにして コント55号やザ・ドリフターズがお茶の間だけではなくスクリーンも大いに賑わかせ、松竹では稼ぎ頭だった。

舞台は神奈川県湘南市(笑)。湘南市役所の「なんでもやる課」に勤めるケチンボな兄(坂上二郎)と大学は出たけれど出来損ないの弟(萩本欽一)の話なのだが、どうせコント55号の人気にあやかって作った いわゆるアイドル映画の類のもんだろうと舐めて掛かったら、意外と面白かったw

特に女優陣の活躍がめざましく、タイトルにもなった(というかWネーム主役である) ミーコこと由美かおるの魅力も充分に引き出せていたし、あの頃からもう既に自由快活・天衣無縫キャラだった太地喜和子(笑)や、チョイ役の倍賞美津子や和田アキ子もいい味を出していた。

「クレージー」な高度経済成長も ひと段落つき、時代的にも 脱モーレツへ「ゴーゴー」(55号)と突入を感じさせる作品となった。

そして監督は野村芳太郎と撮影は川又昂の松竹名コンビ。で、本作では湘南界隈がロケ地となっているのだが、松竹といえば大船撮影所、そして小津組では撮影助手だった川又昂といえば今も鵠沼でご健在というわけで、まさに地の利のある場所での撮影だったというわけだw

それと観ていて とても気になったのが、劇中 欽ちゃんと太地喜和子が入っていった おそらく134号線沿いにあったと思われる



「エッソシェフ」

という 今でいうファミレスみたいな感じのレストラン。もちろん今はないんでしょうけど、誰かご存知の方います?

もしいらしたら、是非とも ご一報をw 


★★★★☆

シンドラーのリスト

スピルバーグ監督全作品レビューも ついにここまで来た。

スティーヴン・スピルバーグ監督のキャリアを 世界的な大ヒット作となった『E.T.』までが第1期、そして3DCGによって革新的な映像表現にまで達した『ジュラシック・パーク』までを第2期とするならば、 この『シンドラーのリスト』は まさに第3期のスタートといえる作品であろう。

これが大きな転機になった理由はいくつかあるのだが、まず本作で念願のアカデミー賞を受賞する事ができたというのがひとつ(作品賞、監督賞他 計7部門で受賞)。

それと今までアレン・ダヴィオーやヴィルモス・ジグモンド等の名キャメラマンと組んでやってきたスピルバーグだが、この『シンドラーのリスト』では ポーランド人の撮影監督 ヤヌス・カミンスキー(彼も本作でアカデミー撮影賞を受賞)を初めて迎え入れ、その作風は劇的な変化を遂げる事となった。その後 カミンスキーは なんとこれ以降のスピルバーグの全監督作品で撮影を手掛ける事となり、現在もスピルバーグの右腕として活動をし続けている。つまり これにより今まで固定されていなかったスピルバーグ作品の画風を決定づけ、なおかつ格を底上げする事となり、それがオスカー獲得に繋がったのだ。

そしてユダヤ人としてナチズムやホロコーストを真正面からきっちりと描くという使命感から作られているというのも本作のポイントだ。 かつて『1941』を撮った時にスタンリー・キューブリック監督から「これはコメディはなく、ドラマとして撮るべきだった」と助言を受けていた。宮崎駿が自らの兵器ヲタっぷりに落とし前をつけるべく 最後の作品として『風立ちぬ』を作ったように、スピルバーグも「ユダヤ人なのに旧ドイツ軍の兵器が大好き」というアンビバレンツから脱却するためにも本作を撮る必要があったのだw もしかするとスピルバーグは、戦争をネタにして特需で大儲けしようとしていた野心家 オスカー・シンドラーと、ナチスをネタに映画(『1941』や『レイダース』等)を撮っていた罪深い自分自身をダブらせていたのかもしれない。ちなみにキューブリックは『アーリアン・ペーパーズ』というホロコーストを題材とした作品を撮る準備をしていたのだが、先に『シンドラーのリスト』をスピルバーグに作られてしまったので、制作を断念したという逸話がある。


では ここでヤヌス・カミンスキーによる撮影についての話をしておこう。

まず本作で特徴的なのは、まるで黒澤映画のように重厚感のある ほぼ全編に渡るモノクロ映像だ。最初と最後だけはカラー映像、それと劇中にパートカラー部もあるのだが、そのパートカラーのシーンの蝋燭の炎と 少女が羽織っていたコートの色はいずれも「赤」…これは黒澤明監督の『天国と地獄』からの引用だ。そして この「赤」とは まさに「希望」の象徴である。

それとゲットーの解体や大量のユダヤ人の遺体を掘り起こして焼却するシーン等で多用された手持ちカメラ(アリフレックス)によって撮影された 手ブレやハイシャッタースピードによる臨場感のあるドキュメンタリー風の画には世界中が驚かされた。それは今までスピルバーグが培ってきた映像表現とは全く異なるもので、それはまるでピューリッツァー賞を受賞した「サイゴンでの処刑」のワンショットのように淡々としたリアリズムを追求したものであった。しかしまさかこんなところでホラー映画好きなスピルバーグの悪趣味残虐演出が活かされる事になるとは…w

で、そのリアル演出の極みが シンドラーの工場で働いていたユダヤ人の女性工員たちを乗せた貨車が手違いによってアウシュビッツに着いてしまうシーンである。というのも このシーンでは何の説明もないのだが、映像とジョン・ウィリアムズの音楽(バイオリン・ソロはイツァーク・パールマンによるもの)だけでアウシュビッツの陰惨さが表現されており、明らかに場違いな寒々とした空気感や緊張感がビシビシと伝わってくるのだ。断髪され衣服を全て脱がされた女性たちが次々とシャワー室に押し込まれ、見る側が「ああ、ここはガス室なのか…」と思っていると突然室内の照明がバンと落ち、女性たちの悲鳴だけが響く…ここがあの大量虐殺が行われたとされるアウシュビッツだとわかって見ているだけに、観客の恐ろしさは より増幅される。しかし次の瞬間、この部屋はガス室ではなく 実は本当のシャワー室だったというフェイクシーンだという事がわかる(なので誰も死なない)。

つまりスピルバーグはアウシュビッツで直接的にガス室のシーンを描いていないのである(しかしその代わりに煙が延々と立ち上る煙突を映したカットが説明なしに何度もインサートされるが)。映画が歴史的解釈を言及するという事は 逆の意味でナチスがやってきたプロパガンダ映画と変わらなくなってしまうという側面もあり、ここは実に扱いが難しいところだ。オスカー・シンドラーが1200人のユダヤ人の命を救ったというのは確固たる史実としてあるのだが、この『シンドラーのリスト』という映画はそれを誇張し過ぎてはいないか、歴史改変や美談化されていないかという論争もあり、調べてみると そういった声が意外に多いという事に正直ちょっと驚いた。しかしそんな非難を受けながらもスピルバーグは この『シンドラーのリスト』を 一ユダヤ人として自らの命を懸けて作り上げたのである。それは最終的には孤立無援でナチスに立ち向かったオスカー・シンドラーと同じように「一人の人間を救う者は、全世界を救う」という信念をまさしく体現していたのかもしれない。ちなみにスピルバーグは この『シンドラーのリスト』で監督としてのギャランティーを拒否し、一切もらっていないという。


個人的に好きなシーンは ドイツ人のシンドラーが「この戦争が終わったら一緒に酒を飲もう」と言うと、ユダヤ人会計士のシュターンが「いや、今飲みましょう」と その場で杯を交わすシーンだ(ちなみに勤勉なシュターンは普段ほとんど酒を飲まないのだが)。

この戦争下においてIFやMAYBEはない。いくら終戦が近づいてきているとはいえ、この関係は、お互いの命は、明日あるかどうかわからないという無情な現実を描いたシーンにグッときた。自分も先日大切な友人を亡くした。しかも飲みに誘おうと思っていた矢先での急逝だった。だから余計にそう感じたのかもしれないが。

あと終戦直前、クライマックスのオスカー・シンドラーによる演説シーンも名シーンだ。工員のユダヤ人と見張りのドイツ兵たちを前に人間の尊厳について語るそれは まるでチャップリンの『独裁者』のラストのようでもあった。それとラストの車のウインドウに映ったシンドラーの顔と、窓の外のユダヤ人たちの姿がまるでオーバーラップのようにピン送りで交互に映し出されるシーンも実に素晴らしい。まさにヤヌス・カミンスキーの面目躍如といったところか。

そして映画の最後はカラー映像で、実際のオスカー・シンドラーの墓に献花する人物がロングショットで映し出されるのだが、実はその人物こそがシンドラーを演じたリーアム・ニーソン本人であり、その捧げられた花はまさに「希望の色」である 真紅の薔薇であった。


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