スピルバーグ監督全作品レビューも ついにここまで来た。

スティーヴン・スピルバーグ監督のキャリアを 世界的な大ヒット作となった『E.T.』までが第1期、そして3DCGによって革新的な映像表現にまで達した『ジュラシック・パーク』までを第2期とするならば、 この『シンドラーのリスト』は まさに第3期のスタートといえる作品であろう。

これが大きな転機になった理由はいくつかあるのだが、まず本作で念願のアカデミー賞を受賞する事ができたというのがひとつ(作品賞、監督賞他 計7部門で受賞)。

それと今までアレン・ダヴィオーやヴィルモス・ジグモンド等の名キャメラマンと組んでやってきたスピルバーグだが、この『シンドラーのリスト』では ポーランド人の撮影監督 ヤヌス・カミンスキー(彼も本作でアカデミー撮影賞を受賞)を初めて迎え入れ、その作風は劇的な変化を遂げる事となった。その後 カミンスキーは なんとこれ以降のスピルバーグの全監督作品で撮影を手掛ける事となり、現在もスピルバーグの右腕として活動をし続けている。つまり これにより今まで固定されていなかったスピルバーグ作品の画風を決定づけ、なおかつ格を底上げする事となり、それがオスカー獲得に繋がったのだ。

そしてユダヤ人としてナチズムやホロコーストを真正面からきっちりと描くという使命感から作られているというのも本作のポイントだ。 かつて『1941』を撮った時にスタンリー・キューブリック監督から「これはコメディはなく、ドラマとして撮るべきだった」と助言を受けていた。宮崎駿が自らの兵器ヲタっぷりに落とし前をつけるべく 最後の作品として『風立ちぬ』を作ったように、スピルバーグも「ユダヤ人なのに旧ドイツ軍の兵器が大好き」というアンビバレンツから脱却するためにも本作を撮る必要があったのだw もしかするとスピルバーグは、戦争をネタにして特需で大儲けしようとしていた野心家 オスカー・シンドラーと、ナチスをネタに映画(『1941』や『レイダース』等)を撮っていた罪深い自分自身をダブらせていたのかもしれない。ちなみにキューブリックは『アーリアン・ペーパーズ』というホロコーストを題材とした作品を撮る準備をしていたのだが、先に『シンドラーのリスト』をスピルバーグに作られてしまったので、制作を断念したという逸話がある。


では ここでヤヌス・カミンスキーによる撮影についての話をしておこう。

まず本作で特徴的なのは、まるで黒澤映画のように重厚感のある ほぼ全編に渡るモノクロ映像だ。最初と最後だけはカラー映像、それと劇中にパートカラー部もあるのだが、そのパートカラーのシーンの蝋燭の炎と 少女が羽織っていたコートの色はいずれも「赤」…これは黒澤明監督の『天国と地獄』からの引用だ。そして この「赤」とは まさに「希望」の象徴である。

それとゲットーの解体や大量のユダヤ人の遺体を掘り起こして焼却するシーン等で多用された手持ちカメラ(アリフレックス)によって撮影された 手ブレやハイシャッタースピードによる臨場感のあるドキュメンタリー風の画には世界中が驚かされた。それは今までスピルバーグが培ってきた映像表現とは全く異なるもので、それはまるでピューリッツァー賞を受賞した「サイゴンでの処刑」のワンショットのように淡々としたリアリズムを追求したものであった。しかしまさかこんなところでホラー映画好きなスピルバーグの悪趣味残虐演出が活かされる事になるとは…w

で、そのリアル演出の極みが シンドラーの工場で働いていたユダヤ人の女性工員たちを乗せた貨車が手違いによってアウシュビッツに着いてしまうシーンである。というのも このシーンでは何の説明もないのだが、映像とジョン・ウィリアムズの音楽(バイオリン・ソロはイツァーク・パールマンによるもの)だけでアウシュビッツの陰惨さが表現されており、明らかに場違いな寒々とした空気感や緊張感がビシビシと伝わってくるのだ。断髪され衣服を全て脱がされた女性たちが次々とシャワー室に押し込まれ、見る側が「ああ、ここはガス室なのか…」と思っていると突然室内の照明がバンと落ち、女性たちの悲鳴だけが響く…ここがあの大量虐殺が行われたとされるアウシュビッツだとわかって見ているだけに、観客の恐ろしさは より増幅される。しかし次の瞬間、この部屋はガス室ではなく 実は本当のシャワー室だったというフェイクシーンだという事がわかる(なので誰も死なない)。

つまりスピルバーグはアウシュビッツで直接的にガス室のシーンを描いていないのである(しかしその代わりに煙が延々と立ち上る煙突を映したカットが説明なしに何度もインサートされるが)。映画が歴史的解釈を言及するという事は 逆の意味でナチスがやってきたプロパガンダ映画と変わらなくなってしまうという側面もあり、ここは実に扱いが難しいところだ。オスカー・シンドラーが1200人のユダヤ人の命を救ったというのは確固たる史実としてあるのだが、この『シンドラーのリスト』という映画はそれを誇張し過ぎてはいないか、歴史改変や美談化されていないかという論争もあり、調べてみると そういった声が意外に多いという事に正直ちょっと驚いた。しかしそんな非難を受けながらもスピルバーグは この『シンドラーのリスト』を 一ユダヤ人として自らの命を懸けて作り上げたのである。それは最終的には孤立無援でナチスに立ち向かったオスカー・シンドラーと同じように「一人の人間を救う者は、全世界を救う」という信念をまさしく体現していたのかもしれない。ちなみにスピルバーグは この『シンドラーのリスト』で監督としてのギャランティーを拒否し、一切もらっていないという。


個人的に好きなシーンは ドイツ人のシンドラーが「この戦争が終わったら一緒に酒を飲もう」と言うと、ユダヤ人会計士のシュターンが「いや、今飲みましょう」と その場で杯を交わすシーンだ(ちなみに勤勉なシュターンは普段ほとんど酒を飲まないのだが)。

この戦争下においてIFやMAYBEはない。いくら終戦が近づいてきているとはいえ、この関係は、お互いの命は、明日あるかどうかわからないという無情な現実を描いたシーンにグッときた。自分も先日大切な友人を亡くした。しかも飲みに誘おうと思っていた矢先での急逝だった。だから余計にそう感じたのかもしれないが。

あと終戦直前、クライマックスのオスカー・シンドラーによる演説シーンも名シーンだ。工員のユダヤ人と見張りのドイツ兵たちを前に人間の尊厳について語るそれは まるでチャップリンの『独裁者』のラストのようでもあった。それとラストの車のウインドウに映ったシンドラーの顔と、窓の外のユダヤ人たちの姿がまるでオーバーラップのようにピン送りで交互に映し出されるシーンも実に素晴らしい。まさにヤヌス・カミンスキーの面目躍如といったところか。

そして映画の最後はカラー映像で、実際のオスカー・シンドラーの墓に献花する人物がロングショットで映し出されるのだが、実はその人物こそがシンドラーを演じたリーアム・ニーソン本人であり、その捧げられた花はまさに「希望の色」である 真紅の薔薇であった。


★★★★★