いよいよ最終作、つまりは遺作となる『マルタイの女』。
 
脚本は伊丹十三となってはいるが、当初共同で脚本を書いていた三谷幸喜のエッセンスはかなり色濃く残っている(クレジット上では「企画協力」となっている)。マルサやミンボーのようなエンタメ性がかなり高くなっており、久々に伊丹映画らしさが発揮された作品ではあるが興行的には惨敗だった。やはり当時人気のあった三谷幸喜を使ってまでもこの作品を成功させたかったという伊丹の表現者として、被害者として、そして映画人としての意欲が感じられる一本になっている。
 
本作で描かれているのは「生きているという事は素晴らしい」という人間賛歌である。
果たしてそんな人が自殺をするのだろうか?

映画で世界を変えられるのか
 
命を掛けてでも「映画を撮る」という事とは

…そんな事を考えさせられました。

果たして伊丹十三がもし今生きていたとしたら、一体どんな映画を撮っていたのでしょうかねぇ。
ちなみにこの特報だが…おもいっきりクライマックスの大ネタをそのままやっちゃってるw 予告編として本当にコレでよかったのだろうかw
ちなみに本編の方で護送車に火炎瓶を投げ込むカルト教団信者の役を演じていたのは、今や時の人の山本太郎だ。
メロリンキューにカルト教団…まさにダブル黒歴史である(苦笑)。 


★★★☆☆