映画『エイリアン』を午後ローで再見。
いやー リドリー・スコットといえば、ついついブレランばっか観て語っちゃうじゃない?w だから『エイリアン』もこの機に見直しておこうかと思って。
するとやはりまた新たなる発見があったりする訳で。今日はそんなエイリアン噺。
① 性的イメージ
まぁギーガーによるエイリアンの造形そのものが男性器のメタファーだったりする訳じゃないですかぁ。チェストバスター(男根)然り エイリアンのタマゴ(女性器)然り。
それとアンドロイドのアッシュがリプリーに暴行するシーンで雑誌を丸めて彼女の口にグイグイ押し付けるシーンがあったでしょ。アレってまさに◯ェ◯◯◯であってw
そしてラストのリプリーの半ケツに結実するというねw
② ミスリード
アッシュがフェイスハガーがついたままのケインをノストロモ号に入れようとするシーン。本来なら防疫の観点から船内に入れる事はできず リプリーは頑なに それを拒んでいたのだが、アッシュの強行によりエアロックが開けられる事に。
まぁこれは後の展開で実はエイリアンの捕獲という隠された裏ミッションの存在が明らかになり、その監視役としてアッシュ(アンドロイド)が乗船していたというオチの伏線になっている訳なのだが、今見直すとアッシュがあれだけケインをかばうのは ひょっとして彼らはゲイの関係にあったのではと邪推もできる。もちろんそれはミスリードであり、リドリーがそれを意識したかどうかは不明だが、少なくとも僕にはそう見えた。そして79年の観客でそう感じた者は誰もいなかったであろう。だから映画は二度観るべきなのだ。
③ モンスター映画の系譜
『エイリアン』の前に『エクソシスト』(73年)があり、ただのジャンル映画ではない芸術性とエンタメ性を兼ねたモダンホラーが確立されたからこそ『エイリアン』も成立し得た訳だが、それ以前のモンスターといえば ハマーフィルムのフランケンシュタイン(フンガー)であったり狼男(がんす)であったりドラキュラ(ざます)だった訳で、このギーガーのエイリアンという発明は その系譜上にあるのではないかと。それが後のジェイソンやフレディに繋がっていく訳だが。
④ ラストニューシネマとウーマンリブ
『エイリアン』(79年)は『ロッキー』(76年)そして『タクシードライバー』(76年)と並ぶ70年代後半のアメリカンニューシネマ末期の傑作といえよう。
特筆すべきは 女性が主人公のアクション映画を確立したエポック的作品であるという点で、この潮流は80年代以降の『ターミネーター』のサラ・コナーや『羊たちの沈黙』のクラリス・スターリングへと続いていく。
⑤ キャメロンの目配せ
あらためて『エイリアン』を観ると、続編である『エイリアン2』(86年)は結構ちゃんと1作目の設定をうまく引き継いでいたなと。リドリーのゴシックホラーとしての『エイリアン』が好きな人からしたら賛否が分かれる2作目かもしれないが、キャメロンのリドリーエイリアン愛が感じられる。そんな話をしていたら また2も観たくなってきたw
★★★★☆
↓いいキャッチコピーだなぁw