かーやん☆ブログ

DJ karyangという名でDJもしております。何卒。

あなたの知らない(映画)世界

かーやんのカリ城論【後編】

そういえば去年の今頃に『ルパン三世 カリオストロの城』の作品分析をしたのを思い出した(ブログ未発表)。

そこであらためて分かった事があるので、今回ここに記しておく。

まず この『ルパン三世 カリオストロの城』という作品は 3つの縦軸で構成されている。それは

カリオストロ伯爵への復讐(ゴート札の真偽)

クラリスの救出(青二才だった頃に命を救ってもらったお礼)

指輪の謎(隠された財宝の発掘)

で、ある。

話が進むにつれ その謎は徐々に明らかとなり、ラストには この3つの謎(軸)が一気に解決を迎え、大団円のうちに物語は終了する。

つまり得られるカタルシスも3倍というわけなのだ。

だからカリ城は見終わった後に清々しいのだw


それと作品分析という事で語っておきたいのは

『ルパン三世 カリオストロの城』という物語は 一体何だったのか

という事。

オイラから言わせたらカリ城は、ルパンとクラリスの恋愛物語でも、ルパンと伯爵の確執の物語でも、ルパンと仲間たち(次元・五ェ門・不二子)の友情物語でも、ルパンと銭形の敵味方を超えた結びつきの物語でもない。カリ城とはズバリ…

ルパンの過去(の精算)と現在の物語

つまり 青二才だった頃の自分と決着というか決別するために、この復讐劇に自ら乗り込んでいったルパン三世という人間の個人史なのだ。

高級スポーツカー・ベンツSSKを乗り回し、カリオストロ伯爵に煮え湯を飲まされた過去の若かった自分を否定し、現在はイタリアの大衆車・フィアット500に乗り、カップうどんをすする おっさんルパンという…まぁなんとも枯れた話なのであるw


そして今回こんな面白い仮説も立ててみた。それは…

もしも ルパン三世という物語を全く知らない人が 初めてカリ城を見たらどう思うのか

というものだw

まぁこのブログを読んでくださっている人のほとんどが 子供の頃からルパン三世をテレビ等で何度も繰り返し見ていて、そのストーリーや人間関係・キャラクターを知った上で カリ城を見ているのだと思うのですが、果たして そうした予備知識がまったく無しにカリ城を 一本の映画として観る事は可能のか…つまり、そうした観客を想定して宮崎駿はカリ城を作っていたのかどうかというのをこれから検証してみたいと思うw

まずは次元大介から。

次元といえば、「射撃の名手」だ。

もちろん初めてルパン三世を見る人はその事を知らないわけなのだが、冒頭 追っ手の車のタイヤに次元が357マグナムを撃ち込むが防弾タイヤで跳ね返されてしまい、その後 特殊な徹甲弾のような弾一発で見事仕留めるという名シーン…つまりこれだけでこいつは防弾タイヤも撃ち抜くような拳銃を使う奴なんだな」という事は充分に分かるw

それと このカーチェイスシーンで もうひとつ示しているのは、テレビシリーズでも幾度となく出てきた「ルパン三世は無類のカーレース好き」という基本設定だ。

そして五ェ門は見せ場が少ないのだが、火の粉のついたルパンの衣服だけを刀で一瞬のうちに切り裂き、あの「またつまらぬ物を斬ってしまった…」という名台詞を吐かせた。まぁそれだけなら ただの器用な侍で話は終わってしまうのだが(笑)、その後 次元のマグナムをも跳ね返したカゲたちの鋼鉄の鎧もバッサバッサと一刀両断にしてしまう。これで「なんでも切れてしまう」斬鉄剣の使い手であるという説明が終了w

で、不二子の見せ方は実に巧い。劇中「時には味方、時には敵、恋人だった事もあったかな?」と台詞での言及もあるのだが、ルパンが窮地に立たされ指輪を差し出さなければならなくなった時に不二子がクラリスに放った

「襟の裏よ。ルパンはいつもそこに隠すわ」

という台詞が とんでもなくエロいw 

これだけで おこちゃまのクラリスには到底理解できない、ルパンと不二子のただならぬ「男女の関係」がよく説明されている。

襟の裏に盗まれてはいけない大事な物を隠す事を知っているというのは、服を脱がせた事がある人間にしか分からない…つまりそういう関係であるという事を暗に示しているわけだ。

こうしてあらためて注意深く見てみると、宮崎駿はいちげんさんの観客にも充分ルパン三世の世界観を理解できるように、一本の映画としてカリ城を作っている事がよく見て取れる。


では 続いて論ずるのは…

果たして『ルパン三世 カリオストロの城』には穴はないのか問題

だw

約100分というフォーマットで宮崎駿が描いた 凝縮されたルパン三世の世界観、前回から自分はカリ城の事をずーっと褒めちぎっているが、冷静に見て物語としておかしなところがないか…ちょっと検証してみたw

まずおかしいのは カリオストロ伯爵とカリオストロ公国についての謎である

カリオストロ伯爵は ふたつのカリオストロ家に代々伝わる指輪の言い伝えの事を知っており それがお宝の鍵となっている事まで知っているというのに、その謎解きの方法と 肝心な お宝の正体について何も知らないという大マヌケっぷりwwww

それなのに わざわざ政略結婚までして指輪を手に入れようとしているのである。

でも その謎は あっけなくルパンが解いてしまったわけで、結局 天敵であるルパンがいなかったら分からずじまいだったじゃんというw

それと気になったのは、偽札造りが小さな公国の経済を支えるために果たして効率の良い事業なのかどうかという問題wwww

ICPO本部では、某国が仮想敵国の経済を混乱させるために偽札を大量発注しているのではないかみたいな説明がなされていたけれど、そんな事大胆にやってたらすぐにバレるんじゃね?…とw それといくら国として資源(観光資源も含む)がないといっても、偽札造りの方が圧倒的にコスト高だと思うんだけどねぇ。いくら太古の昔から偽札事業に取り組み、歴史の裏舞台で暗躍していたとはいえ。現代の経済の規模では現実問題無理っしょ!!w


まぁ他にも語りたい事は まだまだいっぱいあったんですけどねぇ。

たとえば

カリオストロ伯爵=ゲイ説

とか(笑)

ルパンと銭形が脱出した先が何故 棺桶だったのか

とか(この上記2つは先日思いついたばかりw)

カリオストロ家の青い陰(影)の話

とか

ルパン三世と機動戦士ガンダムの関係性

とか…。

でも それはまたの機会にとっておきたいと思いますwwww


ではでは、長々と2回に分けて語ってまいりましたが 今回はこの辺で。

ご静聴ありがとうございました☆

かーやんのカリ城論【前編】

今まで当ブログでは『となりのトトロ』(カンタ裏主人公説)や『紅の豚』(マルコ・パゴットは如何にしてポルコ・ロッソになったのか論)等、宮崎駿監督作品について熱く自論を展開してまいりました。

で、今回語り尽くすのは『ルパン三世 カリオストロの城』についてです。

以前にも当頁で何度か書き下ろした事があるのですが、今回新たに再編致しました。

____________________


以前 オタク評論家の
唐沢俊一氏が「カリ城否定派」の立場として、カリ城の作品としてのアラについて語っており、そのひとつとして「物語の整合性」について論じていた。

国営カジノの大金庫から盗んだゴート札(偽札)がきっかけとなり、ルパン一味はいざカリオストロ公国へ乗り込むわけですが、唐沢氏は「その動機・必然性がちっとも描かれていない」と その時 指摘していた。

だが、実際にはそんな事はない。ちゃんと描かれている。

ルパンは何故にカリオストロ公国へと忍び込んだのか…それは

カリオストロ伯爵への復讐

に他ならない。

ルパン曰く「青二才だった」頃に臨んだゴート札の謎解き…しかしその時ルパンは惨敗を期した。そして国営カジノの偽札を見た瞬間にその事を思い出し、急遽カリオストロ公国へと向かう…というような演出がなされている。

で、ここからは私の仮説なのですが…

実はルパンは国営カジノにゴート札があるということをあらかじめ知った上で盗みに入ったのではなかろうか

と。

つまり大量の札束を見て「んんっ?」と偽札だと気づき、何かを思い出したかのように見えた あの一連の行動が全て、次元をカリオストロ公国へ連れていくためにルパンが打った芝居・演技だったとしたら…。

もしルパンが国営カジノにゴート札があるのをあらかじめ知っていた上で盗む事によって自らきっかけを作り、その既成事実で次元をそそのかしてカリオストロ公国に行っていたとしたら…これで辻褄は合うし、物語の整合性も出てくるのだ。

よくよく考えてみるとルパンは常に全編に渡って取り巻きの人間を実にうまく利用して行動している。次元は前述の通り、ルパンの演技に乗せられて同行する事に(これはあくまで私の推測ですが)。五ェ
門はあまり事情をよく知らぬままルパンに呼び出されて後日 のこのこと遅れて参上(笑)。そして不二子は独自に城内へ潜入し先に偽札の謎に挑んでいたが、ルパンはそれをも お宝発掘のためというよりはクラリス救出のために利用する。で、仲間だけではなく天敵・銭形警部も自ら通報により呼び出して城内潜入のために利用しているのだ(その後は逆に城外への脱出や、偽札を全世界に知らしめるテレビ中継でも利用する事に)。

ここまで虎視眈々と伯爵への復讐を企ててきたルパンだが、そんなルパンでも本当にすっかり忘れていた事があった。

それがクラリスの存在だ。

これは別に演技ではなく、カーチェイスで助けた少女がしていた指輪を見るまでクラリスの事はすっかり忘れていたものを思われる(後に述懐もしているが)。

何故なら 盗んだ金がゴート札だと気がついた時(演技)と、指輪を見てクラリス(青二才の時分に命を救ってくれた少女)の事をふと思い出した時のルパンの驚いた顔(シリアス顔)は明らかに異質なものだったからだ。これは宮崎駿がその違いを明確にするために意図的にやった演出だと自分は解釈する。

で、ここから話は復讐譚からクラリス救出劇へとシフトしたかのように一見思えるのだが、「クラリスを助け出す(盗む)」という行為も 実はカリオストロ伯爵への復讐の一端だったのではなかろうか(もちろん青二才だった頃に助けてもらった恩返しという意味合いもあるが)。

なので私は世間でよく言われるルパンはクラリスのことを愛していた」という説には反対なのである。

ルパンは 世界中に恥をさらし悔しがる伯爵の姿見たさにクラリスを救い出し奪った…つまり

ルパンはクラリスまでをも利用していた

と考える。実に策士であり、大人だw

しかしクラリスは初恋レベルとはいえ、ルパンに対して恋心を抱いていた(いや、他に頼れる者がいなかっただけかもしれないが)。

その証拠にクラリスは「私も泥棒の仕事を覚えるから連れて行って!」とルパンに抱きつき懇願するわけだが…
その時のルパンのを思い出してみてほしい。

まるで鳩が豆鉄砲をくらったかのようにビクッと驚き、総毛をビリビリと立たせているではないか。

あのリアクションは

「えっ!? オレ別にそんなつもりで助けたわけじゃなかったんだけども…」

という風に見えなくもない。

そもそもルパンの目的
クラリス救出ではなかったし、恩返しという意味合いがあったとはいえ、むしろそれを復讐のために利用していたわけなのだから。

そしてルパンは伯爵に向かって「ロリコン伯爵」とまで言い切っているのである。

それは同時に「俺(ルパン)もオッサンではあるけれど、ロリコンではない」と表明していることに他ならない。何故ならリコンはロリコンに向かって「ロリコン」とは言わないからだw

そう考えるとやはり恩人であっても

ルパンはクラリスを一人の女性としては見ていなかった

というのが妥当だと思われるのだが、如何だろうか。

ルパンの帰るべき港は やはり峰不二子なのだ。

そしてルパンはクラリスを旨くなだめて、しかも「おでこに」チュッなのだ。


これもルパンがクラリスを子供扱いしている証拠である。

まぁクラリスが宮崎駿の理想の女性像である事は間違いないのだろうが(少なくとも不二子よりは)、その想いをあえてルパンに投影しなかった事で映画(物語)として成立させているのだ。

更にまた私見を付け加えさせてもらうと、ルパンは 伯爵への復讐、そしてゴート札の謎解きさえできれば泥棒稼業を引退してもいい…という心持ちで この仕事に臨んだはずである(カリ城でのルパンはもう既にオッサン化していたし/笑)。そう、事実上 カリ城は

ルパン三世の最終回

なのだ。

で、本当の(TVセカンドシリーズ)最終回(第155話)さらば愛しきルパンよ』も宮崎駿が照樹務というペンネーム(アニメの制作会社・テレコム・アニメーションフィルムを文字っている)で演出をしているのだが、宮さんは当初 銭形に変装していた本物のルパンに緑色のジャケットを着させたかったらしい。つまり赤ジャケ(TVシリーズ)のルパンは全て偽物だったという
「青二才」だったルパンへの否定とも取れる 実に大胆な結末であった(そういえば銭形に変装というくだりはカリ城そのものだ)。つまり その最終回の1年程前にカリ城で、最終回では幻となってしまった緑ジャケ(本物)ルパンを登場させているのだ(この時TVシリーズもオンエア中で、そちらは赤ジャだったのにも関わらずあえて)。

そして指輪を手に入れ 謎を解き明かし、手に入れたお宝は「ポケットに入らない」古代ローマの遺跡と「あなたの心」だった。

そう、つまりどんな大金や宝石にも換えられぬ この究極のお宝と言うべき手にする事ができないふたつの宝物」(炎のたからもの』)を手に入れた時点で、ルパンには もう盗むべきものはなくなってしまった…つまりそれは

大泥棒・ルパン三世の終焉・廃業

を意味する、というわけなのである。

宮崎駿は「ルパン三世というモンスターにとどめを刺す」つもりでルパンの、そして自分のキャリア(アニメ)の集大成をカリ城で実現したのだ。ちなみに これと同じような「語(世界観)の構築と破壊」を押井守は『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』や『機動警察パトレイバー2 the movie』等で延々と繰り返し続けている。

しかし それにはひとつの大きな誤算があった。それはひとり歩きし、イメージが肥大化し過ぎたキャラクターにとどめを刺したつもりが いつの間にか「カリ城のルパンこそが本当のルパン」というパブリック・イメージを逆に植え付けてしまったのだった。大衆車・フィアット500に乗り、カップのきつねうどんを食べる、わざとかっこ悪く描かれた「おっさん(宮崎)ルパン」だったのに…これにはモンキー・パンチも宮さんも困惑しただろうw


【後編に続く】


※後編では未公開の新作カリ城論を展開させます。乞うご期待☆ 

ディック・スミスが残してくれたもの

ロビン・ウィリアムズが急逝したが、先日 ハリウッドの特殊メイクアップ界の巨匠 ディック・スミスも亡くなった。享年92歳。

images

もちろんロビン・ウィリアムズのように有名ではない いわゆる映画の裏方の人なので知らない方も多いかと思うが、ディック・スミスとは 現代の映画等における特殊メイクアップの基礎を築いた超偉人級の人物なのである。

有名なところでは

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『エクソシスト』のリンダ・ブレア(右はメイクではなく、ダミーヘッド)や


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『小さな巨人』のダスティン・ホフマン(121歳の老けメイク)


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『ゴッドファーザー』のマーロン・ブランド(当時47歳。特殊メイクで60代に)


make (5)

『ハンガー』のデヴィッド・ボーイの老けメイク


make (9)

『アマデウス』のF・マーリー・エイブラハム(サリエリ)の老けメイク

等々…挙げていったらキリがない程の仕事量である。

そんな彼が得意としていたのは前述にある「老けメイク」だ。1本の映画の中で登場人物が違和感なく老いていく…そんな特殊なメイクをどのように開発したのか…そのヒントは「歯医者さん」。

そう、ディック・スミスが独自に編み出した特殊メイクとは 石膏で役者の顔型を取り、歯科技工で用いられるアルジネイトやシリコン等を使って いわゆる 人工皮膚のようなものを作り(それを「アプライエンス・ピース」と呼ぶ)、皮膚を痛めない特殊な接着剤を使い 一部の隙もなくピッチリと皮膚に貼り付けるというもの(役者へのストレスを軽減させるために)。

これにより リアルな人間の皮膚のしわやたるみを人工的に作って老けさせる…というわけである。

で、もちろん こうした革新的な技術も凄いのだが、それよりも もっと凄い功績というか大偉業を成し遂げた事でディック・スミスは名実共に巨匠となり、そしてリビング・レジェンドになったのだが…その偉業とは

こうした特殊な技術を自分のものだけにはせず、オープンソースとし 後身育成に尽力・寄与した

という事なのである。

これだけの大発明なのだから企業秘密にし 自分だけのものとすればハリウッドで仕事も独占できるし、これで特許でも取れば莫大な富を得る事もできたかもしれない。

だが、ディック・スミスは そうはしなかった。つまり 自分だけの利益よりも業界(特殊メイク界)全体の技術発展や地位向上の方を最優先させたのであった。

なので ディックは全てを包み隠さず、惜しみなく弟子たちに その技術を伝授したのである。

で、その門下生には 後に特殊メイクアップ界を代表するアーティストとなる リック・ベイカーや ロブ・ボッティン、日本人では江川悦子や辻一弘らがいる。

そして ディックの教えを請うた彼らもまた、自分たちで編み出した技術を後身たちに伝え続けている。つまり こうした技術伝承という業界の慣習までをも確立してしまった人なのだ。

なのでディックは全ての映画人から尊敬され愛されていたというわけなのである。


ちなみにオイラが映画好きになったきっかけが こうした特殊メイクだった。

『タクシードライバー』のロバート・デ・ニーロ演ずるトラビスのモヒカン頭が 実はディック・スミスが手掛けたカツラであったと知った時は衝撃的だった。
 
make (4)

どう見ても 顔とカツラの境目がわからないし(前述のアプライエンス・ピースで貼り込んでいるため)、ちゃんと側頭部には青々しい剃り跡まで再現されているのだ!!

これでまず何を学んだかというと、映画というものは 別にちゃんと時間軸通りに撮影するものではないという事を この特殊メイクを通じて知ったのである(なのでモヒカンをメイクにする必要があった)。

つまり ディック・スミスは オイラにとっても間接的に「(映画の)お師匠さん」だったわけである。

で、中学の頃は特殊メイクアップ・アーティストになりたいと思い、高校に進学してからは自主映画を撮ったりなんかして、後に映画学校にも通った。

その頃には 特殊メイクよりも 監督業や脚本家に憧れ、青春時代の大半を映画に捧げた。

なので ディック・スミスがいなかったら 今のオイラはなかっただろうし、今まさに こうしてブログで映画のレビューを書く事もなかったであろう。

だから一度お会いしてお礼を言いたかった人物でもあったのだ。

これから機会がありましたら またこの場でディック・スミスの特殊メイクの凄さについて語ろうかと思っています。

合掌。 

キョート・マイ・マザーズ・プレイス ~大島渚追悼イベント~

10月27日、藤沢市民会館 小ホールで執り行われました 大島渚追悼イベントで ドキュメンタリー映画『キョート・マイ・マザーズ・プレイス』を観てきました。

本作は英国BBC放送で製作された大島渚監督によるドキュメンタリーフィルムで日本未公開。今回奥様で女優の小山明子さんの「大島と長く暮らした この藤沢の地で是非とも上映会をやりたい」という思いがこうした形になり、日本未公開の監督作品が一日だけ上映される事になった というわけなのです。

50分程の短いフィルムなのですが、大島監督が育った京都の地と母親との想い出が描かれています。

そして本作は91年に製作され BBCにて放映されたのですが、イギリスで公開される事が前提になっているからか、京都の、そして日本の風俗・習慣についても非常にわかりやすく 大島監督自身のナレーションにより解説されていたのが印象的でした。

こうした貴重な映像を、しかもビデオではなく、ちゃんとフィルム(16ミリ)で観られたというのは貴重な体験でありました。

で、上映後には 大島監督の助監も務め、映画『御法度』では役者としても出演をした崔洋一監督、女優で公私共にパートナーでもあり、後年は二人三脚で大島の介護に尽力した妻・小山明子、長年大島家と交流のあった作家の澤地久枝、大島作品で数多くのプロデューサーを務めた元持昌之、そしてご子息の大島武(長男・大学教授)、大島新(次男・テレビプロデューサー)によるトークショーがあり、母(息子たちからしたら祖母)についてのフリートークがなされて、楽しく拝聴させて頂きました。

こうして大島家一同が登壇して生でお話しが聞けるというのも なかなかない機会ですし、大島家について、それと京都での学生運動の話(荒神橋事件)も出てきたので、今回事前に『青春残酷物語』『日本の夜と霧』そしてBSプレミアムでのドキュメンタリー(再現ドラマ)『大島渚の帰る場所』を観ておいたのは正解でした。

またこうした形で藤沢での上映会を続けてもらえると嬉しいですね。

それとこうした企画を短い準備期間で実現してくださった実行委員会のみなさんに感謝の念を。お誘い頂きまして ありがとうございました!!

これからも機会がありましたら、大島作品を観てみたいです。 

大島渚の帰る場所

先日NHK BSプレミアムで放送されたドキュメンタリー&再現ドラマ『大島渚の帰る家 ~妻・小山明子との53年~』を見る。

映画『日本の夜と霧』がわずか上映4日間で打ち切られてから半月後に、大島渚監督と女優・小山明子は映画仲間を集めたささやかな結婚式を挙げる。その席では松竹への批判、そして大島に対する叱咤激励で決起集会さながら、まるで『日本の夜と霧』の結婚式のシーンのようだったという。

そして96年に大島は新作『御法度』の制作を前に脳出血で倒れる。メインはその闘病記なのだが、壮絶なのは これを機に妻である小山明子まで介護疲れから鬱病に陥り、自殺未遂まで謀ったという事実だ。

だが 小山の介護の甲斐もあってか『御法度』は無事完成に至った。しかし2001年に大島は再び倒れ、そこからまた夫婦二人三脚のリハビリが始まる。そして昨年、大島監督は亡くなった。

つまり『御法度』で復帰してからの、二度目のリハビリの方が遥かに長かったのである。

その間 小山も女優業をやめ、二人とも人前に姿を見せる事は ほとんどなかった。

いつも権威や社会と向き合い、その時代時代でセンセーショナルな作品を作り、常に闘い続けた大島にとって、映画を撮れずに終えた この12年間はリハビリ以上に辛かったとは思うが、公私共に良きパートナーであった小山明子と一緒に過ごせた穏やかな日々は ある意味幸せだったのではなかろうか。


で、本作の再現ドラマパートでは豊原功補が大島渚監督を演じていたのだが、その鬼気迫る演技に脱帽した。

実在の人物、しかも大島渚を演じるというのは難しかったかと思われる。なにせ近年の人物で、その上 晩年まで演じきるのだから。

それと野坂昭如の頭をマイクでぶん殴るという強烈なインパクトというか衝撃キャラを 見ている側がなまじ知っているだけにw


で、本日10月27日に藤沢市民会館で大島渚監督の見本未公開ドキュメンタリー作品『キョート・マイ・マザーズ・プレイス』の上映イベントがあるので行ってきます。

藤沢といえば去年まで私かーやんも住み、今でも大島監督のご自宅がある場所でもあります。 この模様も当ブログでお伝えできればと思っておりますので、お楽しみに。

倫敦五輪記念・真夏の夜のヴァンゲリス祭り☆



『炎のランナー』




『ブレードランナー』




『南極物語』




Anthem - 2002 FIFA World Cup TM Official Anthem』 


やっぱかっこええなぁ、ヴァンゲリスは♪w

閉会式にはどんなサプライズがあるのか、今から楽しみですね☆

黒い十人の女(テレビドラマ版)

市川崑監督の『黒い十人の女』(1961年)は今では有名だし、先日ナイロン100℃により舞台化された事で ご存知の方も多いかと思うが、『犬神家の一族』のように『黒い十人の女』が市川監督自身の手によって映画としてではなく、テレビドラマとしてセルフリメイクされた事を覚えている人は少ないかと思う。

なにせ地上波では一度放送しただけで、ソフト化もされていないのだから。

ちなみに私はオンタイム(2002年)で見ていたのだが、先日CSのフジテレビTWOで放送していたので 久しぶりに見返してみた。

オリジナルは白黒だが、本作はもちろんカラーで ハイビジョン撮影されている。そして シナリオは ほとんど改変されておらず、和田夏十のオリジナル脚本が尊重されている(舞台は現代、神山由美子により一部リライトされている)。

『犬神家~』でもそうだったようだが、市川監督は現場でオリジナル作品の映像をモニターで流して見比べ、限りなくオリジナルと同じカット割りや画角になるよう こだわって撮影していたそうだ。


他人(観客)からすれば「『犬神家の一族』も『黒い十人の女』もオリジナルで充分名作なんだから、わざわざ作り直さなくても…」と思うかもしれないが、映画監督というのはできる事ならば 永遠に納得いくまで自作を作り替えたいと思い願うものである

しかし その願いは そうそう簡単に叶えられるものではない。仮に時間や予算が膨大にあったとしても、なかなか「完璧」というものは存在しないからだ(だからこそ映画監督は「新作が最高傑作でありたい」と願い作り続けるのであろう)。

まぁ今となってはCGやデジタルリマスタリングなんかでやろうと思えばできるのかもしれないが、このような例は そんな映画監督の飽くなき夢を実現した、むしろ珍しい例といえよう。

リメイク作品はそれこそ星の数ほどあり、中にはオリジナルよりも有名な作品もあるなかで、ただでさえマスターピースである作品を、しかもセルフリメイクしたという前例は非常に少ないと思う(そういえば、小津安二郎監督の『浮草』は、サイレント時代の『浮草物語』のセルフリメイクだ)。

厳密に言うとリメイクではなく「リエディション」だが、延々と自作を編集し長く生き続けている『ブレードランナー』『スターウォーズ』のような希有な例もあるが、何故に市川崑は新作ではなく『黒い十人の女』と『犬神家の一族』のリメイクにこだわったのか…それを知るためにも今一度オリジナルとリメイク版を見比べてみるのも面白いかもしれない。


ちなみにオリジナルで音楽番組の収録場面で演奏していたのは ハナ肇とクレージーキャッツであったが、テレビドラマ版では 元ピチカート・ファイヴの小西康陽(the GROOVE ROOM Orchestraとして野本かりあと)が演じている。

で、小西さんといえば 90年代の『黒い十人の女』リバイバル上映の際に尽力した、まさに『黒い十人の女』を再発掘した立役者である。

シネフィルであり、市川崑監督の信奉者である 小西康陽が、こうして市川作品に出演しているというのも なんとも感慨深い。

個人的にはオリジナルで船越英二が演じた 風松吉役は、テレビドラマ版の小林薫の方が好きだ。


本人がリメイクしているという事は つまり「どちらもオリジナル」なわけだが(笑)…さて、あなたは どちらがお好み?w

寺田農はルトガー・ハウアーの夢を見るのか?

昨日テレ東で 昼間っから なんと『ブレードランナー』を放映していた!!w

観てみたら 昔TBS(『月曜ロードショー』)で放映された、いわゆる「完全版」(欧州や日本で劇場公開され、最初にビデオソフト化された初期の劇場公開版。ユニコーンの夢無し、デッカードの補足モノローグ&ラストの逃亡・空撮シーン有りのバージョン)の吹き替え版だった。

いやー、寺田農のルトガー・ハウアー、かっこよかったなぁ~!!

ルトガー・ハウアーの演技以上に抑制された寺田氏の声の演技は秀逸。よりレプリカントっぽかったしw

ちなみにデッカードの声は堀 勝之祐。ハリソン・フォードといえば『スターウォーズ』や『インディー・ジョーンズ』シリーズなんかの影響で 磯部 勉の方が馴染み深いという人も多いと思うが、そんな人にはザ・シネマ(CS)版の「ファイナル・カット」吹き替え版は新録になっており 磯部氏がデッカードの声をやっているので こちらもオススメだ(未ソフト化。ちなみに意外な事に磯部氏がデッカードの声を当てるのはこれが初めて)。 

それと久しぶりにエンディングの空撮シーンが見られてヨカッタ☆

あのシーンはリドリー・スコット監督がスタンリー・キューブリック監督に頼んで『シャイニング』のオープニングの空撮ショットのNGカットを譲ってもらって編集したというのは有名な話(米国公開の際にハッピーエンドにしなければならず、急遽ラストのシーンを追加しなくてはならなくなったため)。

で、キューブリックは「どうぞ、ご自由に」と快くフィルムを譲ってくれたらしいが、そのNGフィルムの量がとんでもなく膨大でリドリー・スコットもビックリしたんだとかw

映画の円環

先日久しぶりにアルフレッド・ヒッチコックの『北北西に進路を取れ』を観て、そして『ナショナル・トレジャー』『ナショナル・トレジャー2/リンカーン暗殺者の日記』を続けて観た。

偶然の流れ・組み合わせだったのだが、特に『北北西に進路を取れ』と『ナショナル・トレジャー2』には共通点が多かった。

双方とも いわゆる「巻き込まれ型」のサスペンスであるという点(しかもNT2の方は主人公のご先祖様までもがリンカーン暗殺者の濡れ衣を着させられる/笑)、しかもラストの舞台がラシュモア山であるという点等が挙げられるが、こうして続けて観てみると ただ単に類似点が多いというだけではなく、リメイクというわけではないのだが NT2がアメリカ映画史において『北北西に進路を取れ』と同じ系譜上にある事がよく分かる。


まぁそれだけヒッチコックの映画は いまだに大きな影響を与えているわけで、今だからこそ見直す価値があるのかなと思って、最近積極的に観るように心掛けています。

それが日本だと小津だったりするのかもしれませんがw

かーやんの『バック・トゥ・ザ・フューチャー』トリビア

【その1】

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ドクのラボ内のドリー(移動)ショットから始まるオープニング。そこで無数の時計が映し出されているのだが、その中に後のクライマックス・シーンとなる時計台にぶら下がるドクの姿を模したような時計が 始まって1分もしないうちに出てくるw

もちろん この映画を初めて観た人はそれに気づく事はない。つまりこれはBTTFを2回以上観てくれた人に対しての「また観てくれて ありがとう」というメッセージを込めた巧妙な「逆伏線」なのであるw

ちなみにパート3から2へと張られた「逆伏線」もある。それはマーティの同級生(会社の同僚)・ニードルスのくだりだ。2と3は同時に製作された作品なので、作品間をまたいだ こうした「逆伏線」が成立し得たのである。


【その2】

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BTTFといえば、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースによる主題歌『パワー・オブ・ラブ』が印象的だが、実はボーカルのヒューイ・ルイスも本作にカメオ出演している(ノンクレジットなので、気がついている人が少ないと思うが)。

マーティが挑んだバンド・オーディションの堅物っぽい審査員役で出ていて、マーティに対して「音が大きすぎる」と苦言を呈すのだが、実はコレ、ヒューイ・ルイスが『ウィー・アー・ザ・ワールド』のレコーディング時にプロデューサーに「声が大きすぎる」と注意を受けているメイキングビデオからの自虐的なパロディだったりするw


【その3】

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リビア人のテロリストに襲われて、走ってデロリアンに飛び乗るマーティのシーン。実はこのマーティはマイケル・J・フォックスではなく、エリック・ストルツだ。

元々マーティ役にキャスティングされていたのはマイケル・J・フォックスだったのだが、当時テレビドラマ『ファミリー・タイズ』の収録で多忙を極めていたため 一旦は出演を断念。そこで代役として選ばれたのが エリック・ストルツだったのだが、結局 3分の1ほど撮影を終えたところでイメージと合わないという理由で降板(苦笑)。そこで マイケル・J・フォックスの名が再浮上し、テレビドラマの撮影を優先させるという条件付きで急遽BTTFに出演する事となった。

そして エリック・ストルツがこうして映っているシーンが1カットだけ紛れ込んでいるというわけなのだw


こんな事を踏まえて上で また見直すと面白いかと思いますよ☆w
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