かーやん☆ブログ

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あなたの知らない(映画)世界

スピルバーグからの手紙

先程テレ朝の林修先生の番組でスピルバーグが藤子プロに宛てた生誕90周年を祝う書簡がテレビ初公開されるという事で釘付けになって見ていた。

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というのも 著名な映画監督が日本の漫画家に差し出した手紙で有名なのが キューブリックが『2001年宇宙の旅』を製作するに際して手塚治虫を美術コンサルタントとして招聘しようとしたという逸話。
手塚は「うちには食わせないといけない家族(虫プロのスタッフ)が260人いるので」と返事を書いて丁重に断ったら「そんな大家族だったのですね」とキューブリックが言ったとか言わなかったとかw
この話はその書簡が手塚の母親によって燃やされてしまい現存しない事から長年 手塚の与太話だと言われ続けてきたのだが、後年 封筒だけが発見されて 現在では信憑性の高い話とされている。

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藤子・F・不二雄といえば手塚治虫の門下生。
そしてスピルバーグはキューブリックとは『A.I.』で繋がる旧知の仲。

この親和性は見逃せない。

『エイリアン』考


映画『エイリアン』を午後ローで再見。

いやー リドリー・スコットといえば、ついついブレランばっか観て語っちゃうじゃない?w だから『エイリアン』もこの機に見直しておこうかと思って。
するとやはりまた新たなる発見があったりする訳で。今日はそんなエイリアン噺。

① 性的イメージ
まぁギーガーによるエイリアンの造形そのものが男性器のメタファーだったりする訳じゃないですかぁ。チェストバスター(男根)然り エイリアンのタマゴ(女性器)然り。
それとアンドロイドのアッシュがリプリーに暴行するシーンで雑誌を丸めて彼女の口にグイグイ押し付けるシーンがあったでしょ。アレってまさに◯ェ◯◯◯であってw
そしてラストのリプリーの半ケツに結実するというねw

② ミスリード
アッシュがフェイスハガーがついたままのケインをノストロモ号に入れようとするシーン。本来なら防疫の観点から船内に入れる事はできず リプリーは頑なに それを拒んでいたのだが、アッシュの強行によりエアロックが開けられる事に。
まぁこれは後の展開で実はエイリアンの捕獲という隠された裏ミッションの存在が明らかになり、その監視役としてアッシュ(アンドロイド)が乗船していたというオチの伏線になっている訳なのだが、今見直すとアッシュがあれだけケインをかばうのは ひょっとして彼らはゲイの関係にあったのではと邪推もできる。もちろんそれはミスリードであり、リドリーがそれを意識したかどうかは不明だが、少なくとも僕にはそう見えた。そして79年の観客でそう感じた者は誰もいなかったであろう。だから映画は二度観るべきなのだ。

③ モンスター映画の系譜
『エイリアン』の前に『エクソシスト』(73年)があり、ただのジャンル映画ではない芸術性とエンタメ性を兼ねたモダンホラーが確立されたからこそ『エイリアン』も成立し得た訳だが、それ以前のモンスターといえば ハマーフィルムのフランケンシュタイン(フンガー)であったり狼男(がんす)であったりドラキュラ(ざます)だった訳で、このギーガーのエイリアンという発明は その系譜上にあるのではないかと。それが後のジェイソンやフレディに繋がっていく訳だが。

④ ラストニューシネマとウーマンリブ
『エイリアン』(79年)は『ロッキー』(76年)そして『タクシードライバー』(76年)と並ぶ70年代後半のアメリカンニューシネマ末期の傑作といえよう。
特筆すべきは 女性が主人公のアクション映画を確立したエポック的作品であるという点で、この潮流は80年代以降の『ターミネーター』のサラ・コナーや『羊たちの沈黙』のクラリス・スターリングへと続いていく。

⑤ キャメロンの目配せ
あらためて『エイリアン』を観ると、続編である『エイリアン2』(86年)は結構ちゃんと1作目の設定をうまく引き継いでいたなと。リドリーのゴシックホラーとしての『エイリアン』が好きな人からしたら賛否が分かれる2作目かもしれないが、キャメロンのリドリーエイリアン愛が感じられる。そんな話をしていたら また2も観たくなってきたw

★★★★☆

↓いいキャッチコピーだなぁw
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『TAR/ター』とモンハンと宮崎駿と


もうちょっと『TAR/ター』の話をさせてほしい。お次はラストシーンの考察。なので思いっきりネタバレである。でも初見ではおそらくわけわからんちんだと思うので、むしろこのネタバラシを読んでから観てほしいw

初めて観た時にはまったく訳がわからないラストだった。なんで観客がみんなコスプレしてんのと。
で、見終えた後に調べてみたら、どうやらコレはビデオゲーム『モンスターハンター』のフルオケコンサートだったのね。
最高峰のベルリンフィルで指揮をしていたのに対して、アジアの地で小さなオーケストラを率いてゲームミュージックを演奏するというのを都落ちと見るか、新たなジャンルへの挑戦と見るかで ハッピーエンドにもバッドエンドにも取れる、観客に委ねたラストが非常に興味深かった。
これは受け取る世代にもよるかと思うんだよね。ゲームミュージックをベルリンフィルより上に見るか下に見るかっていう。
それとこれは映画批評家たちに対しての挑戦状だとも思えた。映画ばっか真面目に見続けている人はあまりゲームはやらない。だからこのラストが理解できない(まさしく僕がそうだった)。そんなところは宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』にも似ている。一見難解な映画だが、吉野源三郎の同名小説を読んでいればスルリと理解できる内容になっており、これは「あなた、吉野源三郎をご存知ですよね?」という事を前提に作っている ちょっと意地悪な映画でもあるのだw なのでトッド・フィールド監督に「あなた、モンハンをご存知でない?」と言われたような気がしたのだw

ちなみに本作の女性指揮者 リディア・ターは エミー賞、グラミー賞、アカデミー賞、トニー賞の4冠を制覇した十数名の「EGOT」(←各賞の頭文字を取った名称)のひとりという設定になっている。
テレビ(エミー)、音楽(グラミー)、映画(アカデミー)、演劇(トニー)…この中で抜けているのが「ゲーム」なのだ。
そう思うと、かつてバーンスタインのテレビ番組を見て音楽の道を志したリディア・ターのリスタートで幕を閉じた『TAR/ター』は ある意味ハッピーエンドだったのではなかろうかと。
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まだまだフェイブルマンズ語り 〜ミドルかボトムか〜


公開からだいぶ経ったんで、もうちょっと『フェイブルマンズ』について語らせてほしいw しかも今回もネタバレ…しかもラストシークエンスであるw
スピルバーグなんかに興味ねーよとか、2時間半もある映画観るのかったりーっていう人は このラストシークエンスだけでも観てくれ!! お願いだからw

両親の離婚とか大学に馴染めないとか嫌な事つらい事もあったけど「なんと僕、ジョン・フォード監督と会っちゃいました!!」という事だけで映画として ちゃんとカタルシスのあるラストになるという…はっきり言って こんなのスピルバーグにしかできねー最大級のライト&マジックだよ!!w

まぁこの件はスピルバーグファンの間では有名な本当にあったエピソードで、CBSテレビに呼ばれてサミーが…いやさ、スピルバーグがようやく映像の仕事にありつけるという時にプロデューサーから巨匠ジョン・フォード監督のオフィスに案内してもらうというね。きっとテレビの仕事ではなく映画監督志望という若者の一途な姿を見て、もしかすると若き日の自分に照らし合わせて「神様」に会わせてやろうとでも思ったのかね。それだけでも粋なエピソードなんだけど、本編の演出がまたそれに輪を掛けて粋なんだわ。

オフィスに通されてジョン・フォードがランチから戻ってくるのを待っていると、突然ジョン・ウィリアムズの音楽がレコードの針が飛んだみたいにブツっと止まって…そっからシーンの空気が一変するの。
顔中口紅だらけのジョン・フォード…いや、デイヴィッド・リンチがやってきて、そこからまるでリンチの映画みたいなテイストになっていくのよ!!www
葉巻に火を点けようとするんだけど、いつまでもスパスパしていてなかなか終わらない件とか、スピルバーグが演出しているというよりも なんかリンチに映像を支配されちゃったみたいな感じがあってスリリングだしw

その後「地平線(Horizon)」の話をし始めるジョン・フォード。地平線が下(bottom)にある画は面白い(interesting)。上(top)にある画も面白い。でも真ん中(middle)にある画はクッソつまんね(boring as shit)…って言い放つのw そして とっとと出てけ(get the fuck out the my office)ってwww
無茶苦茶な話で訳わかんねーんだけど(笑)、サミーはジョン・フォードに会えたっていうだけで めっちゃ感動してんの。全ての嫌な事を忘れて。

そしてラストカットがまた良い。
仕事にもありつけ ジョン・フォードにも会えて意気揚々とスタジオの大通りを闊歩するサミーの後ろ姿。そこでヤヌス・カミンスキー(撮影監督)が「あ、いけね。地平線はミドルじゃなくてボトムだったよね」とばかりにカメラが一瞬ぐらつきパッとティルトアップすんのwww もう映画史上最高にお茶目なラストじゃない?w

実はジョン・フォードを演じたデイヴィッド・リンチ監督、当初はかなり乗り気ではなくオファーをのらりくらりと拒んでいたらしいのだが、その間を取り持って説得してくれたのが なんと女優のローラ・ダーンだったという。
そっか、ローラ・ダーンっていえば『ブルー・ベルベット』だけじゃなくて『ジュラシック・パーク』にも出てたやん!!…って、最適な人選だよね。ええ話やん☺️
そしたら後日リンチから連絡があって「撮影の数週間前に衣装を送ってくれ」と。そしたら本番に合わせて その衣装を毎日着込んでクッタクタにして撮影に臨んだというエピソード…それだけで もう熱いよなー🔥

映画館で観た時は本当にビックリしたもんなー。前情報入れずに行ったから。その「スピルバーグ作品にリンチが!! しかもジョン・フォード役でぇーっ!!」というサプライズ(本当に劇場で「ギャーッ!!」と叫びそうになったw)は、サミー(スピルバーグ)が実際にジョン・フォードに会った驚きと直結しているっていうねw いやー、50年映画を見続けて本当によかったと思えた瞬間だったよw 大好きな映画がまた1本増えた。
 
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フェイブルマンズとリーフェンシュタール


スティーブン・スピルバーグ監督作品『フェイブルマンズ』を再見。

映画制作の恍惚と同時に残酷さをも描いた、スピルバーグ作品に一度でも触れた事のある未見の方に是非とも観て頂きたい怪作。

そして本作の白眉というか、思わず巻き戻して何度も観たくなってしまうのがプロムパーティーでの上映会のシーン。
サミー・フェイブルマン(青年期のスピルバーグ自身がモデル)がハイスクールで撮った記録映画『GRAND VIEW HIGH "DITCH DAY" (グランドビュー高校の「おサボりの日」)がプロムのクライマックスに掛けられ 同級生たちに大好評。
 
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だが 主役に据えられた いじめっ子のローガンはサミーの前で泣き崩れる。
「なんで俺をあんな風に撮ったんだ?」と。
ローガンは いじめっ子で大嫌いだが、スポーツ万能で 女の子にモテモテの美男子。サミーは いち映画作家としてローガンを主役に据えて格好良く描く事で作品が良くなればそれで良いし、彼も喜ぶだろうと思ってやったまで。なのにローガンは酷く傷ついた。スクリーンに映し出された自分の姿は虚栄でしかない。つまりフィルムが映し出す本質をローガンは見抜いてしまったのだ。

で、このシーンでスピルバーグは何を言わんとしているのかというと…レニ・リーフェンシュタールの『民俗の祭典(オリンピア)』なんだよね。
 
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リーフェンシュタールとはナチスで数々のプロパガンダ映画を撮った女性映画監督だ。『オリンピア』とは ベルリンオリンピックの記録映画であると共にナチス・ドイツのプロパガンダ映画でもあった。まるでギリシャ彫刻のように美しく切り取られたアスリート達の姿とマッチョでイケメンなローガンを重ね合わせる事は容易だし、何せローガンはサミーがユダヤ人であるというだけで小馬鹿にし、いじめの対象としていたではないか。
つまりサミー…いや、スピルバーグはヒトラー(リーフェンシュタール)がやったのと同じ方法で反ユダヤに対して復讐したとも取れるのだ。そしてそれこそが、黒を白に白を黒に変える「映像の恐ろしさ」なのであるという事を立証して見せたのである。

しかし気になるのはローガンと「俺が泣いた事は二人だけの秘密だからな」と約束したのに、こうして映画にしてバラしてしまった事だwww まぁもう時効だとは思うのだが…やっぱ才能のある奴を敵にまわしてはいけないという好例かw

『君たちはどう生きるか』というタイトルの意味 (注: 若干ネタバレを含みます)

『君たちはどう生きるか』よく分からなかったからもう1度観ようと言っている人をSNSで多く見かけるが、そんな人は何度観ても分からないはずいや、そういう人には分からないような作りというか仕掛けにわざとしているフシすら感じられる。


みんな『君たちはどう生きるか』というタイトルに振り回されている。それが宮﨑監督からのメッセージ(遺言)であると勝手に解釈して。

だが実はこのタイトルはある意味フェイクだ。

本来の意味は


君たちは吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』を読んだ上でどう生きるのか


と問うているのだ。


主人公の眞人は亡くなった母親からのメッセージとして『君たちはどう生きるか』を読み、お義母さんを助けに行く決心をする。眞人はこのような状況に置かれたら人として取るべき行動はひとつであるとこの本から悟るのだ。つまり主人公の行動原理を促す装置としての『君たちはどう生きるか』なのだ。


しかし本編では その本の内容に触れる件は無い。つまり宮﨑駿は吉野源三郎の『君たちはどう生きるか』をあなたは読んでいますよね? 基礎教養ですよね?と言っているのだ。分かってくれる人だけに伝われば良いという映画だから宣伝をしなかった(できなかった)のだと僕は解釈した。


そういうところは前作の『風立ちぬ』にも似ている。

ラスト堀越二郎がカプローニと共にいた場所は煉獄である。だがそんな説明は本編中に一度も無い。つまりこれも分かる者だけが分ければ良いというスタンスだ。

悪く言えば 視聴者に対して不親切といえるが、それこそが最上級のエンターテイメントであるという見方もできる。

そう思うと宮﨑駿監督作品は観客が好きなように解釈してもらって構わないという映画ではないのだ。答えはひとつ。そしてその答えは作品の中にしっかりと画として描かれているけれど、それを読み取れるかどうかは万人に保証するものではないというね。そういう事なんだと思う。

カリ城2CVカーチェイスの元ネタ発見!!


お友達のらすさんがFacebookに上げていたシトロエン2CVのカーアクション集を見てビックリした。
 


コレって完全に『ルパン三世 カリオストロの城』の元ネタやないの!!

ちなみに動画の出典元は以下の通り(自力で調べた。多分合ってるw)。

『大混戦』(1964)
『007 ユア・アイズ・オンリー』(1981)
『ルイ・ド・フュネスの大奪還』(1982)
『ルイ・ド・フュネスの窓際一発大逆転』(1970)

カリ城の公開年(1979)を考えると、大混戦と窓際一発大逆転がそれに該当する。
双方とも車種は2CVで女性(クラリス、尼僧)がドライバー、しかもクラッシュしてバラバラになりながらも走り続ける姿は まさしくカリ城オープニングのカーチェイスシーンと酷似している。

しかし宮崎駿はパクリの天才だな。「さらば愛しきルパンよ」のロボット兵 ラムダがフライシャー兄弟のアニメ版スーパーマンからの引用である事は今となっては有名だけれども、ビデオデッキやソフトもまだまだ普及していなかった頃にアレをやったのだ。
しかもこの「ルイ・ド・フュネスのサントロペシリーズ」が日本でビデオソフト化(しかもレンタルオンリー)されたのは90年代に入ってから。つまりこれも宮崎駿の記憶の中だけで再現されたという事に。すげーなぁ!!

学術としての『ブレードランナー 』と『シャイニング』


キューブリックや小津、スピルバーグだけでなく、研究に力を入れているのが ブレードランナー。

最近 ホワイトドラゴン版の存在を知り(今更でごめんなさい)、自分の中で再燃しております。

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こうしていくらでも、いつまでも掘れてしまうというのも それだけ謎も多く、リドリー・スコット自身もコントロールできていない点が多々あるからこそ ファイナルカット版なんていうものも作られてしまうという事も良く分かった。

40年にも渡っていまだにこうして考察が続けられているのはブレランと『シャイニング』ぐらいだろうなぁ。ここまで来ると立派な「学術」である。

と、そんな矢先になんと『シャイニング』の「学術書」とも言える決定版が出版された。

かつてピクサーに所属し『トイ・ストーリー3』等を監督した稀代のキューブリックマニア、リー・アンクリッチが編集した1000部限定・2000ページに及ぶ『シャイニング』資料集コレクターズエディションボックスがそれ。

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アンクリッチはトイ・ストーリーシリーズ等 自作の中に『シャイニング』のイースターエッグを忍ばせる事で有名だが、好きが高じて本まで作ってしまった。しかもこのボックス、お値段が1500ドル。まだ買えるようだが、もちろん僕は買えないw おそらく世界中のキューブリック&シャイニングマニアの手に渡る事だろう。

触れてはいけない映画と夢の話

昨夜は()茅ヶ崎ウタパンパンでのDJイベント後、カウンターで大いに語り呑み続け始発までお世話になりました。オーウェンさん、いつもありがとうございます🙏


そこで映画好きの仲間たちと色々な話で盛り上がり『ジョーカー』の話を振ったのです。

以前ブログでも話しました 【ネタバレ注意】『ジョーカー』夢想論 〜『ジョーカー』は傑作ではあるけれど、世紀の大傑作ではない理由〜 という僕なりの『ジョーカー』論を皆にぶつけてみたのです。

そしてそんなディスカッションをしていく中で、触れてはいけない恐ろしい領域にまで話が及んでしまったのです。


要約すると僕の『ジョーカー』論とは、あの映画は全編に渡って「夢オチ」であるという暴論でした。同じアパートメントに住む黒人女性とのロマンスは アーサー(ジョーカー)の妄想でしたという展開は 観客にミスリードさせるための あからさまなトラップになっていて、実はこのジョーカー誕生秘話自体が全てアーサーの夢想であるというものでした。つまりアーサー=ジョーカーではないという事は、誰もがジョーカーになり得るというお話。


で、この話を突き詰めていったら こんな仮説も成り立つのではないかと思えてきたのです。

『ジョーカー』の元ネタのひとつとなっているマーティン・スコセッシ監督の『タクシードライバー』。僕の『ジョーカー』論が もし正しかったとしたら、実は『タクシードライバー』もそれに該当するのではなかろうかと。

まずその根拠として


・ベッツィー(シビル・シェパード)とトラビス(ロバート・デ・ニーロ)の関係性が、アーサー(ホワキン・フェニックス)とソフィー(ザジー・ビーツ)との妄想ロマンスと呼応しているとするならば

・そもそもベッツィーにフラれた腹いせに大統領候補のパランタインの暗殺を企てる意味があるのか(トラビスはニューヨークの市政に不満を抱いてはいたが、決して政治的思想犯ではない)

・暗殺が未遂に終わり、そこから転じて売春少女アイリス(ジョディ・フォスター)を決死の覚悟で救いに行く件に発展する訳だが、果たしてそこまでやる必要性があったのか。

・トラビスにアイリスへの深い情愛や特別な正義感があったとは思えない。だが彼が潔癖であるという事は分かる。しかし それがパランタインへの報復やアイリス救出の動機だとしたらその割には部屋は小汚いw

・アイリス救出の血の惨劇の後、ヒーローとして迎えられ新聞でも報じられたトラビスだが、いくら正当防衛だったにしても あれだけの事をしたら只事ではない気がするし、あの事件後のトラビスの暮らしぶりは何も変化していないように思える。

・それと最も重要なのは、トラビスはベトナム帰還兵でPTSD疾患者であるという事実(潔癖症なのでドラッグは毛嫌っていたが、薬は大量に服用していた模様)


そんな事を踏まえると実は


『タクシードライバー』も『ジョーカー』と同様に、トラビス・ビックルの壮大な妄想の物語だったのではなかろうかと。


いやーーーーっ!!!!

僕が大好きで大好きな座右の映画『タクシードライバー』までもが全て妄想(夢オチ)だなんてーっ!!w

しかしこれもまた僕の勝手な解釈というか「夢想」である。映画に正解なんてない。できるものなら存命のうちにスコセッシに直接聞いてみたいものだw


それにしても『タクシードライバー』にそういった要素が内包しているという事に気づき『ジョーカー』にそれを盛り込んだ脚本家は大したものである。


本当はまだ言いたい事があるのだが(トラビスの妄想が現実に具現化されてしまったレーガン大統領暗殺未遂の件と『ジョーカー』の関連性とか)、長くなってしまうので それはまた別の機会に譲るとして、結論づけると


映画とは、それ自体が壮大な夢の装置


であるという事だ。


真っ暗な小屋の中で投影される光と影の世界(マジック)は、まさしく人が見る夢の如しだ。

そして大前提となっているのは、映画とは真実を映す鏡であるかもしれないが、それ自体は「作り物(創造物)」であるという事実だ。


そしてこんな夢想が成立するのであるならば、それは全ての映画に言える事となってしまう。

例えば『ロッキー』でアポロとの死闘で善戦し「エイドリアーン!!」と叫んだ後に、病院のベッドで横になっているパンチドランカー・ロッキーの姿が映し出され「夢だったのか」となったらどうかとかw


僕は昨夜この話をしていて、触れてはいけない映画のアンタッチャブルな領域に足を踏み入れてしまったような気持ちになり、かなり落ち込んだこんな事を言っちゃったら夢も希望もないじゃんと。


でも誤解のないよう、もう一度言っておこう。


映画とは目を開けて見る夢


なのだと。

もうちょっとマーヴェリックの話をしようじゃないか(ややネタバレ有り)


『トップガン マーヴェリック』を観て何か物足りなさを感じたファンもいたかもしれない。

それはきっと80年代らしい、いい意味でチャラくてバカっぽい感じが欠けていたからだと思うのだが(笑)…でもそれは仕方ないよ。ケリー・マクギリスとやっちゃったりとか、意味なくシャワールームでの男たちの裸が出てきたりとか、もうそういうのが許される時代じゃなくなっちゃったから。
でも それすらも逆手に取っているのがマーヴェリックなんだよ!!w だってさぁいくらプレイボーイとはいえ、還暦間近のおじさんがバコバコやってたら やっぱおかしいじゃん?w だからこそトム・クルーズは安易に続編が作られるのを嫌ってかなり早い時期に『トップガン』続編の映画化権を自腹で買い取り、36年の時を待ったのだ。

それだけ強い思い入れがあって作られた続編な訳だが、続編というよりは『トップガン』と『トップガン マーヴェリック』2本で1つの映画であると僕は解釈している。人生って死ぬまで終わらないでしょ? でも映画ってエンドロールが出たら はい、おしまいって…いや、そうじゃねーだろ!? グースの死にはまだ決着がついていねーんだよ!! トム・クルーズの中で、そして観客である俺たちの中でもっていうねw
で、この「地続き感」って イーストウッドの『クライ・マッチョ』や山田洋次の『男はつらいよ』シリーズなんかに通ずるものなんだと思うんだよね。つまりトム・クルーズはその長いキャリアの中で遺作にしてもおかしくないような自らの、そして『トップガン』の集大成をやってのけた訳なのだが、それに際して故トニー・スコット監督への賛辞ももちろん忘れていないし、これおかしいでしょシーンの再現(実際のトップガンではありえない格納庫内で机と椅子を並べての講義等w)、そしてトップガンマナーもしっかりと盛り込まれている。ポルシェ356が初代911になっていたりとか、グースの息子役の人がグースに激似だったりとか(笑)、アイスマンのその後とか、もう見どころしかないというか。『シン・ウルトラマン』が「仏作って魂入れず」だとしたら、マーヴェリックはもう「魂しかない」w

荒唐無稽な例のミッションもリアリティという意味では欠けていたかもしれないが、あれは本作のプロデューサーであるジェリー・ブラッカイマーが当初『トップガン』を制作するにあたって「地上の『スター・ウォーズ』をやろうぜ」と言った事に端を発しているというエピソードへのオマージュだと思うと、リアリティとかそんな事はもうどうでもよくなってくるw そもそも36年の時を経てドッグファイトという言葉は死語になり、実際の戦場においてほとんど意味をなさなくなってしまった。それだけミサイルの精度も高くなったしドローンのような無人機の方が効率が良いという事になっちゃったから。でもそれすらも逆手に取ったのが このマーヴェリックなのである。そうだ、これは映画なんだよ。エンタメ作品なんだよってw
だから細かい事でガタガタ言わないのがマーヴェリックの楽しみ方であり、それこそがトップガンマナーなのかと。

で、ラストはレディ・ガガとかさぁ…もう泣くしかねーだろ?w 実際 劇場ではおじさんたちのすすり泣く声が聞こえていたよ(俺も含めてw)。もう最高👍 みんなも早く映画館に行って!! それとハンカチもお忘れなくw
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