かーやん☆ブログ

稀代のポンコツDJ

あなたの知らない(映画)世界

『パラサイト』と『シャイニング』の類似性

映画『パラサイト 半地下の家族』を観てドキッとした。
というのも スタンリー・キューブリック監督の『シャイニング』へのオマージュが感じられたからだ。
その話をあまりネタバレにならない程度にちょこっとお話しを。

お金持ち一家 パク家の末っ子・ダソンは まるで『シャイニング』のダニーのように描かれている。歳の頃もどうやら同じくらいで、なんだか名前も似ているしw
しかもまるでシックスセンスも持ち合わせているような描写もある(でも本当は…その先は劇場でw)。

それと決め手になったのは、アメリカン・インディアン(ネイティブ・アメリカン)の件だ。
映画『シャイニング』では ほのめかす程度で それほど強調して描かれてはいないのだが、原作ではオーバールック・ホテルが建っている場所は かつてインディアンが大虐殺された地である事が語られ、その上にお建ってられたホテルで のちに二度に渡る惨劇が繰り返されるという、因縁曰く付きの呪われたホテルであるという事。
まぁお金持ちの家は高台にあったしね。まさに上から下を見下ろす(見下す)オーバールック(展望)なわけだし。

それとついついキューブリック的視点だけで語ってしまったが、よくよく考えたら ここでアメリカン・インディアンがモチーフとなっているのにはレビューの回で述べた「多層構造」が起因しているんだった。

お金持ち→高台の豪邸→侵略した西洋人(上層)
貧困層→半地下→虐殺されたインディアン(下層)

という構図もあった。

そういう細かい描写とかが気になって『ジョーカー』は2度観に行ってしまったのだが、この『パラサイト』も他にも探せばまだまだ深く掘れそうな何度も観たくなる映画だ。

他にもキューブリック・オマージュを見つけたのですが、それは映画の核心にちょっと触れてしまうネタなので、それは自分で探してくださいw

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山田洋次と黒澤明

『男はつらいよ』第1作目では志村喬が博(前田吟)の父親役で客演。東宝から出向での特別出演という形だが、この後も準レギュラーとして度々出てくる。

これは山田洋次が松竹に在りながらも黒澤明を敬愛していた事の証でもある。

伝統的で文芸色の強い 松竹の大先輩である小津安二郎を否定しながらも、大島渚を筆頭とした松竹ヌーベルバーグの「波」にも乗れなかった初期の山田洋次は喜劇という娯楽映画の王道を突き進んでいく事となる。

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しかし山田洋次が後年 黒澤邸を訪れた際に天皇黒澤が自室で小津の『東京物語』のビデオを黙ってじーっと観ていた姿に衝撃を受けたという話は有名だ。

娯楽映画の王道を突き進み、世界のクロサワと呼ばれた あの敬愛する黒澤明が、忌むべき存在であった小津安二郎の映画を熱心に観ている…山田監督はそこから考えを改めたという。

そしてその松竹の大先輩である小津に敬意を表して作られたのが『東京家族』というわけだ。

SWサーガを終えて

【やや『スカイウォーカーの夜明け』のネタバレ有り】(←でも読んでもあまり問題はありませんw)


ついに完結したSWシークエル・トリロジー。


その中で圧倒的に好きなのがレイ(デイジー・リドリー)


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この凛とした新ヒロインは確かにディズニーらしいっちゃーらしいのだが、それ以上に宮崎駿のアニメのヒロイン像に近い。例えばナウシカとかサンとか。

オリジナル・トリロジー(46)では白人俳優だらけだったSWも、21世紀にはその主要キャストの座は女性であったり黒人であったりと「革新」を遂げてきた。


世代交代でなんとなくぎこちなかった新主要キャラたちも回を増すごとに貫禄も出てきて(役者としても)愛おしく感じられていた。それはレイだけでなく、レン(ベン)もフィンもポーも。


そして新作鑑賞前日にテレビで『最後のジェダイ』を再見した事でその想いは増幅。

そんな状態で観た『スカイウォーカーの夜明け』は 何か懐かしい友達とまた再会できたような多幸感に満ちており、感涙無しには観られなかった(で、その再会は劇中の登場人物内でも展開していく)


スカイウォーカーの夜明け(The Rise Of Skywalker)とは「(スカイウォーカーの)終わりと始まりの物語」。

ちょっと強引ではあるかもしれないが(そこが賛否の分かれどころ)、フォースも、ジェダイも、そしてスカイウォーカーも、あなたと共にある(Be with you)という締め括りだったというわけだ。


ホント自分が生きているうちにこんな大団円が観られるだなんて映画の神様に感謝w


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↑もうさぁ、この『七人の侍』オマージュだけでも充分胸熱だべ?w

キューブリック作品における「トイレ」の考察

キューブリック作品に通底するキーワードのひとつに「性的モチーフ」が挙げられると思うが、それと同じくらい頻出する場面がある事に気がついた。それは


「トイレ」


だ。


『シャイニング』には 表側からは見えない裏の(血に染められた)部屋として真っ赤なトイレットルームが出てくるし、『フルメタル・ジャケット』でゴーマー・パイルがハートマン教官を殺し 自害したのも、『博士の異常な愛情』でリッパー将軍が拳銃自殺を遂げたのもトイレだった。


おそらくキューブリックが描き続けたトイレとは「孤独の間」のイメージなのであろう。


人は生を授かり たったひとりで死んでいく。日常において誰にも見られず 孤独で居られ、己をさらけ出せる場所それこそがトイレなのだ。


で、ここでまたも映画『ジョーカー』の話なのだが()、この作品にも重要なポイントでトイレが何度か出てくる。


トイレとは通常ひとりきりの空間だが、複数名いる場合そこでなされる会話は外には漏れない「秘密の話」だ。


『ジョーカー』というとあからさまなスコセッシ・オマージュの方に目が行きがちだが、キューブリック作品との共通性も他にもいくつかあるので、そこに注視して観ても面白いかと思う。


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【ネタバレ注意】『ジョーカー』夢想論 〜『ジョーカー』は傑作ではあるけれど、世紀の大傑作ではない理由〜

本日昭島のMOVIXで映画『ジョーカー』を再鑑賞(2度目)。


で、今回は「どこからどこまでがアーサー(ジョーカー)の夢想なのか」というテーマに絞って集中して観てみたのですがそれですごい事がわかった!!(これ以降はネタバレとなりますので、ご容赦の程を)

 

 

2度目を見始めた当初は


・精神病棟を出てピエロとして生計を立てながら母親と二人暮らしをしているっていうところ以外は全部アーサーの夢想と予想

・地下鉄で3人のエリートサラリーマンを殺したのはアーサーではなく、マスクをした別のジョーカーの可能性(アーサーは自分が殺ったと思い込んでいる)。

・アーサーが病室にいる母親を殺めたのも妄想。おそらくただの自然死を自分が殺したものと思い込んでいるだけ。

・同僚のクラウン仲間を殺したシーンは事実なのか妄想なのかはちょっと微妙。ただ妄想の可能性高し。

・そもそもアーサーはスタンドアップコメディアンではない。ネタ帳を持ったまま舞台に上がる芸人なんているものかなのでステージに上がっているのも、テレビに取り上げられ出演したのも全て夢想(あの舞台をビデオで録っていたっていうのもありえないかと)


と思っていた。


しかしラストシーンを見てその今まであれこれ考えていた自分(観客)の夢想は無駄なものだったとはっきりとわかった。


もしかすると、アーサーが精神病棟にいた(もしくは現在進行形)という事実以外は全て彼の夢想(夢オチ)なのではないかと思えてきたのだ。


そうすると捕らえられパトカーで護送される際に救出されたにも関わらず、オープニングにチラリと出てきた精神病棟にまたいるという件も納得がいくし、うまく円環している事になる。

ラストでは血の足跡を残しながらステップを踏んでいるが、あの思わせぶりなシーン(カウンセラーを殺したのではないかと思わせるような)も実はアーサーの夢想なのではと思えてきた。


その他にも「全てが夢想論」を決定づける事項はいくつかある。例えば


・一番わかりやすい夢想の例として、同じアパートメントに住むシングルマザーの黒人女性とのロマンスは実はアーサーの妄想でしたというネタばらしが挙げられるが、ひょっとするとアレは「この黒人女性とのロマンス以外は全て真実です」と観客をミスリードさせるためにわざと入れたシーンだったのではなかろうかと深読み。

・アーサーがトーマス・ウェインがいる『モダン・タイムス』のフルオケ付き上映会に容易に忍べ込めたというのも不自然(つまりこれも夢想)。それとゴッサムシティという架空の世界に、実在するチャップリンの映画が上映されているというのにも何か違和感を感じる(つまりこの上映会そのものがアーサーの夢想でもある)。
・最後ブルース・ウェインの両親を殺害したのは「別のジョーカー」だった。つまりこれは何を意味するのかというと「別にジョーカーはアーサーでなくてもいい」そして「これを観ているあなたもジョーカーになる可能性を含んでいるのだ」という事だ。

・それとメディアでは地下鉄殺害事件の犯人はピエロの「マスク」をした人物だと報道している。アーサーはマスクではなくメイクだ。つまりこれは前述と同じように


マスクさえ被れば(アーサーでなくても)誰でもジョーカーになれる

アーサーはジョーカーではない(自分こそがジョーカーであると夢想するただの「気狂いピエロ」)

ジョーカーはジャック・ニコルソンでもあり、ヒース・レジャーでもあり、ジャレッド・レトでもある(そしてホアキン・フェニックスでもある)

要は誰でもいい

という事は誰にでもジョーカーになり得るし、それはあなたなのかもしれないよ

つまり『ジョーカー』は「(アーサーによる)ジョーカー・ビギニング」の話ではない(ホアキン・フェニックス=ヒース・レジャーではない)


という事を示唆しているのではないのかというのが、二代目淀長(襲名予定)の見解だ。
 
 

そして以上が『ジョーカー』は傑作ではあるけれど、世紀の大傑作ではない理由なのである。


もしかするとこれだけ掘り甲斐があるだけでも充分に大傑作なのかもしれないが(笑)、夢オチなのだと思うと急に冷めてしまったいやー、奥深いよ『ジョーカー』は。
 
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『恐怖と欲望』問題について

アスペクト比の話ついでに、もうひとつキューブリックのどーでもいい話をw

それはスタンリー・キューブリック監督の処女作『恐怖と欲望』(1953年)についてだ。

これは つい数年前まで「幻の作品」と言われていた…というのも 生前キューブリックは この『恐怖と欲望』を「初期のつたないアマチュアの仕事」と自ら黒歴史と認定し、なんとそのプリントの全てを自費で買い取り、どこにも上映できぬよう封印してしまったのだ!!w
なので ずーっと観たくても観られない作品だった訳だが、ついに初めてソフト化(DVD&BD)されてしまった(日本では2013年に)。

まさに「死人に口なし」とはこの事だ。
あんなに観たくてたまらなかった幻の作品だったのに、いざこうして公のものになってしまうと観る気が失せてしまい、キューブリックファンだというのに実はいまだに『恐怖と欲望』を観られずにいる。

まるで亡くなった恋人の遺言を頑なに守っている面倒くさい男のようですが…まさにその通りなんで ほっとけーきw

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『バリー・リンドン』のどうでもいい話

BSプレミアムでスタンリー・キューブリック監督の『バリー・リンドン』を放映していた。

この機会に今回 話しておきたいのは「ソフト化(もしくはテレビ放映時)伴うアスペクト比問題」だ。
他の作品や映像作家ではそれほど大きな問題にはならない事象なのだが、ことさらキューブリック作品となると、某かーやんのような(笑)世界中のキューブリックマニアが黙ってはいないw
というのも キューブリックという監督は「完璧主義者」であるとよく言われている。できる限り自作をコントロールし、NGを127回出させたとか今となっては伝説的に語られる程なのだが、自作のソフト化に際してのこだわりも尋常ではなかった。自分が関わったものは決して人任せにはせず、徹底して関与するという姿勢だ。

しかしキューブリックの死後にリリースされた再販版DVDやBD(ブルーレイ)では 現在のワイドテレビの普及に合わせ画面のアスペクト比(縦横比)を改変しているものが存在している。
それはまずは「テレビ有りき」という思考で、現在のテレビのフォーマット(16:9)にピッタリ合わせた方が見やすいであろうというに考え方に基づいたものなのだが、キューブリック信奉者はとことんオリジナルにこだわるw

全作品を挙げたらキリがないので『バリー・リンドン』を例にすると、下画像のようにキューブリック監修の初期DVDとBDでは微妙にアスペクト比が異なるだけでなく、天地の映っていない部分の存在が確認できる。

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これで推測できるのは、DVD版のマスターの上下をカットして 後にBDが作られたのだとしたら 元々のマスター(オリジナルネガ)が存在していないという事になる(もしくは手抜きをしたか)。

つまり『バリー・リンドン』は

1.撮影時のオリジナルネガ(1:1.77)
2.劇場公開時(1:1.66) ※キューブリック本人の意向によるもの
3.初期DVD(1:1.58) ※4:3のレターボックス収録
4.BD(1:1.78)

と、4つのバージョンが存在する事になる。

そのうちキューブリック自身が監修し認めているものは2と3。そして今日BSプレミアムでオンエアーされたものは4に該当する。
要は現在 監督の意向に一番近いものを観たければDVD版を入手するしかない…という話だったのですが、上下もしくは左右をカットするのか、それともレターボックスもしくはサイドパネルで完全収録するのか…どうでもいい人にとっては ホントにどーでもいい話でしたね、ハイwwww

ちなみに『シャイニング』以降の作品の初期DVDは当時のテレビのサイズに合わせてか4:3になっているのだが、BD版はオリジナルネガを用い 劇場公開当初のアスペクト比に限りなく近い形で収録している。
それがファンにとっては良いのか悪いのは微妙なところなのだけれども、気になるなら両方持っておけという…これまたどーでもいい話w

カメラを止めるな!スピンオフ『ハリウッド大作戦!』

見ましたよ。まぁこんなもんでしょ…ってな感じでw セルフファンムービーでしたwwww こういうのはやったもん勝ちだから。これはAbemaTVとネスレ日本に軍配。300万以上は掛けたのかなぁ?w

カメ止めを観てないで、いきなりこれから見始めた人とかいたら笑えるんだけどなぁ。「スゴイ!! スゴイよ、コレ!!」みたいなwwwwwwww

賛否は色々とあるとは思うけれど、この人は一生コレだけやっててもいいんじゃないかって思えてきたw
だって本家ジョージ・A・ロメロや『アタック・オブ・ザ・キラー・トマト』だって ずーっとやり続けてきた事に意味がある(生じてきた)んだから。

★★☆☆☆

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『いだてん』に見る映画的考察

現在放送中のNHK大河ドラマ『いだてん ~東京オリムピック噺』では 映画的なクリシェが嫌味にならぬ程度にさりげなく使われている。

例えば「旅立ちと別れのシーン」では「駅・汽車」が効果的に出てくる。

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これは同じく宮藤官九郎 脚本による朝の連ドラ『あまちゃん』でも使われていたが、映画でいえば デヴィッド・リーン監督の『旅情』や 小津安二郎監督の『浮き雲』等、頻出されるシチュエーションだ。大きな物(汽車・事象)によって大切な物(故郷・家族・恋人等)から物理的に遠くへ引き離される…という非常にわかりやすいシンボルなのである。これはクドカンが宮城出身で上京してきているという影響も大きいのかと。

そして金栗四三(中村勘九郎)と幼なじみ・スヤ(綾瀬はるか)の「出会いと再会の場所」として「橋」が機能しているのも見落とせない。

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岸恵子・佐田啓二主演の『君の名は』や レオス・カラックス監督の『ポンヌフの恋人』等、映画において「男と女を繋ぐアイテム」として橋も印象的に使われる事が多い。
押井守監督の『機動警察パトレイバー2 the movie』では 物理的な爆発によって橋が破壊される事で、対岸(テロ首謀者と警察官)にいる男(柘植行人)と女(南雲しのぶ)を繋ぐ物の「断絶」を示唆している。

映画やドラマを見る時にこうした「駅」や「橋」が出てくる意味を考えながら観るとまた別の面白さが見えてくるかもしれない。ただこうした映画の見方は2度目に観る時の方がいいだろう。初見でそんな事をいちいち考えながら観ていたらストーリーに没入できないだろうから(笑)。
それと今ここで述べた事は あくまで映画のもうひとつの楽しみ方であり「雑学」である事をお忘れなく。

原題至上主義にもの申す

今回は映画の邦題の話。原題よりも優れた邦題はいくつでも挙げられる。

オードリー・ヘップバーンの『おしゃれ泥棒』などいい例だ。
原題は『How to Steal a Million』つまり「100万ドルの盗み方教えます」…これはこれでおしゃれなタイトルなのだが、このおしゃれ感をそのままタイトルに落とし込んだ。

『俺たちに明日はない』の原題は『Bonnie and Clyde』。稀代の銀行強盗 ボニー・パーカーとクライド・バロウの有名な実話なので向こうではそのままで充分通じるが、これが日本で「ボニー・アンド・クライド」ではピンと来ない。
俺たちに明日はないとは まさしく衝撃的なラストを暗示するものになっているので しっくり来るタイトルだ。

ちなみに『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! 』(A Hard Day’s Night)や『史上最大の作戦』(The Longest Day)、『007 危機一発』(From Russia with Love)等は 映画評論家・水野晴郎がユナイト映画宣伝部在籍時に考案したものとされている(あえて危機一髪にしなかったところがミソ)。

それと邦題にしなくてよかった例もある。
ケビン・コスナー主演の『フィールド・オブ・ドリームス』は 日本での試写会時には邦題がついていた。それが

『とうもろこし畑のキャッチボール』

である(苦笑)。もしこのまま公開されていたら あんなにヒットしていなかったであろうw

それとヒットを狙ったあざとい邦題もある。
シガニー・ウィーバーが動物学者を演じた『愛は霧のかなたに』がそうだ。原題はなんと『Gorillas in the Mist』つまり「ゴリラは霧のかなたに」だ(笑)。まぁこれじゃ客は入らないわなw
『愛と青春の旅だち』『愛と哀しみのボレロ』『愛と哀しみの果て』『愛と喝采の日々』『愛と追憶の日々』等々…一時期「愛と」をつけときゃあ とりあえずオッケーみたいな風潮があったのも事実だ。あまりにも安直すぎると思うのだが(苦笑)。
しかし『愛と青春の旅だち』が原題の「士官と紳士」(An Officer and a Gentleman)だったら なんかパッとしないしねw

とにかく今後の日本の映画配給会社の努力に期待します。僕はオリジナル至上主義(原題・日本語字幕)には懐疑的な立場なんで。あんま手を抜くなよw
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