かーやん☆ブログ

DJ karyangという名でDJもしております。

あまちゃん論

『あまちゃん』とは何だったのか ~総括~

本日9月28日、NHKの朝の連続テレビ小説『あまちゃん』がフィナーレを迎えました。

自分も「あまちゃん論」的なものを当ブログで書かせてもらいましたが、いやー みなさんホント細かいところまで見ていますねぇ~。

『潮騒のメモリー』が『セーラー服と機関銃』のアンサーソングだったとか、トンネルの向こう側にはアキとユイの明るい未来の光が差しているとか、「その火(日)を飛び越えて~」とか…。

なので 『あまちゃん』についての深い考察は みなさんにお任せするとして(笑)、かーやんの「あまちゃん論」もこれで最終回。最後は作品を総括して締めくくりたいと思います。


『あまちゃん』というドラマは一体何だったのか…それは

山田洋次監督の『男はつらいよ』シリーズ以降、パッタリと途絶えてしまった日本の人情喜劇の復興・復権

だったのではなかろうか(ま、厳密に言ったら同じ系譜上に『釣りバカ日誌』シリーズなんかもありますがねw)。

宮藤官九郎は、被災した故郷でもある東北の地に、日本の朝に、笑いと笑顔を届けたかったのだ。

特に最終章でもあった震災編は 重くなりがちな題材ながらも 「お構いねぐ」という名台詞で 東北の健在ぶりと復興への希望を巧みに表現した(そういえば前述の『男はつらいよ』の最終作で寅さんは当時震災直後の神戸に訪れて支援活動をしているシーンで終えている)。


それと高く評価したいのは、大友良英による劇伴である。

あの軽快な『あまちゃん』のオープニングテーマは、どこか吉本新喜劇の出囃子によく似ているw

底抜けに明るい あの音楽のおかげで、この震災へと向かっていく事が始まった時からわかっている『あまちゃん』というドラマを安心して最後まで見られたような気がするのです。そう考えると、今回のドラマでの功績は大きかったのではなかろうかと。


あと 鈴鹿ひろ美、春子さん、そして大吉っつあんの合同結婚披露宴のシーンを見て感じたのは『あまちゃん』とは

中年賛歌

であったという点だw

なんでも朝の連ドラには「必ず劇中で一度は花嫁姿(結婚式)のシーンが出てくる」という暗黙の決まり事があるらしいのだ。

となると 通常は朝の連ドラでは主役であるヒロインの結婚式になるはずなのだが、『あまちゃん』では さにあらずw

フレッシュさとは無縁のおっさんとおばちゃんが こぞって3組も晴れ姿であるw しかもそのうち1組は事実婚、2組は同じパートナーとの再婚であるw

こうなってくるとアキとユイは本当に この番組のヒロインなのかと疑いたくなるw

ずーっと『あまちゃん』を見守ってきた熱心なファンからすれば、最終回以上に感涙されられたのも 鈴鹿ひろ美本人による『潮騒のメモリー』の生歌唱のシーンだったのではないかw 若者以上に元気な中年パワー、おそるべしw

『あまちゃん』は 明らかにクドカンが同じアラフォー世代に向けて送った応援歌であり、国民的番組である朝の連ドラを通じて放った「これからの日本は俺たちが作り支えていくんだ」という宣言(バトンタッチ)でもあるのだ。

子供の頃は面白いと思わず、ほとんど見る事がなかったNHK。しかし自分も齢四十を超えて、今こうして朝の連ドラを毎日欠かさず見る大人になるだなんて思ってもいなかったw

もちろんクドカンも まさか自分がNHKの朝の連ドラを書くとは思ってもみなかったであろうw

こんなに朝の連ドラで日本中が盛り上がったのは 『おしん』以来ではなかろうか?w

そして この異様なオンタイムでの盛り上がりに、スマホやSNSの普及が関与している事は言うまでもない。

テレビはまだまだオワコンではないというところをまざまざと見せつけた 記念碑的な作品にもなった『あまちゃん』に半年間たっぷりと楽しませてもらいました。

この場を借りまして あらためて、スタッフとキャストのみなさんに感謝の意を。


それとオイラが書こうと思っていた事のほとんどは この人が書いてくれていたので(笑)、もし興味がありましたら こちらをご覧ください。水島宏明さんのコラム です。

かーやんの「あまちゃん論」

NHK朝の連続テレビ小説『あまちゃん』がいよいよ佳境である。

震災復興支援のために 鈴鹿ひろ美がチャリティーリサイタルを被災地・北三陸で開くと切り出す。もちろん自分が唄った歌ではないという事も知り、自分が「移ろいやすい音程」であるという事を自覚しての決断だw

そこで新たな展開が。春子は「影武者」であった事実を鈴鹿本人に明かし、過去が清算されスッキリしたかもしれないが、鈴鹿ひろ美だけは まだ過去を引きずり、コンプレックスを抱えていたという真実。

これは ちょっと意外な展開だった。彼女は「それでも唄いたい」と強く思い願っていたのだった。


で、このシーンを見ていて、ピンと閃いた!!

そうだ、『あまちゃん』というドラマは、(震災の)復興も含めた

「再生の物語」

だったのだ。

そういえば よくよく考えてみたら 鈴鹿ひろ美だけではなく、この「再生」が主人公の天野アキ以外のほとんどの主要人物にとってキーワードになっているではないか。

アイドルの表舞台には立てず、のちに別の形で芸能界に再起を掛けた春子、春子との再婚をずっと願っていた正宗、幾度となく挫折をし、震災によって東京への進路も絶たれたが「潮騒のメモリーズ」で地元アイドルとして再び復活を遂げるユイ、大病から生還した夏ばっぱと足立パパ、家族を捨てて失踪したが、ふたたび地元に帰ってきた足立ママ、一度は夢やぶれたが、またアイドルを育てるという夢を北三陸の地で成し遂げる決心を固めたミズタク…と、ここでちょっと挙げただけでも、ほとんどの登場人物が「再生」という言葉と絡んでいる。

先程「天野アキ以外の~」と前置きしたが、つまりアキは周囲のその「再生」を促す存在なのである。


作中、震災による被害や復興に対して気遣っていたアキに対して夏ばっぱが放った

「お構いねぐ」

という名言があった。被災した人たちは確かに大変だ。だけど何も大変なのは被災者である自分たちだけではない。だからこそ出てきた「お構いねぐ」という言葉だったのではなかろうか。

3.11以前と以降で人々の心の在り方も変わったかもしれない。だけど、大変だったのは震災以前も同じだという事。みんな生きている限りは 何かしら問題や悩みを抱えて日々を送っているのだ。

震災という事実を通して、クドカンが描きたかったのは そういう事だったのではないだろうか。

「あまちゃん」であるアキを通じて、その周辺の人たちが「再生」され、その過去が浄化(成仏)されていく。

前作の朝の連ドラ『純と愛』も同じく「再生の物語」だったが、『あまちゃん』との大きな違いは 登場人物が驚くほど不幸の連続で ちっとも救われていないし、主人公が前向きであっても浄化されていないのだ(なので、もちろん見ている側のカタルシスも薄い)。

別にそれでドラマとして悪いとは言わないが、やはりここは朝一番で見てから職場や学校に向かう人たちが多く見ている朝の連ドラでは 明るい話の方が望ましいとクドカンが描いた世界観は まさに『純と愛』へのアンサードラマだったとは言えないだろうか。


しかも話が2011年に向かって進めば進むほど物語の緊張は高まる。そう、見てる側(視聴者)は この後起こる東日本大震災の事実を知っているから…。

一説によると脚本の宮藤官九郎は『あまちゃん』を書くにあたって、どうやって震災を描くか(もしくは描かないか)ギリギリまで悩み抜いたと言われている。

事実としての震災を「描く」という選択肢、そして そもそもフィクションなのだから 仮に無かった事かのように「描かない」という選択肢もあったはずだ。だけどクドカンは苦悩の末に描く方を取った。

そして それと同時に「震災で(登場人物が)誰も死ななかった」という選択肢も選んだ。

自分も学生の頃、脚本家を目指して書いていた時期があったので 書き手の気持ちがよくわかるのだが、話(脚本)の中で「安易に人を殺す」というのは一番やってはいけない事だった。人が死んで悲しいというのは当たり前だし、それは「逃げ」であると信じていた。

もちろんあれだけの大きな東北での震災で 北三陸の登場人物全員が何事もなく無事に生きていたという事に対しての「ご都合主義」とか「甘い」とか「リアリティに欠ける」いうような批判は避けられないという事もわかっていながらも、クドカンはそれを選択したのである(まぁどちらを取っても結局 非難を避ける事はできないのだが/苦笑)。厳しい現実とフィクションとのせめぎ合い…しかし これはドラマであり、報道やドキュメンタリーではない、ある種のファンタジーなのである。そしてもちろん被災者への配慮もあった(津波のシーンを破壊された模型で表現したり、テレビ中継を見ている人たちのリアクションで見せたりと)。


それでは最後に、ラストに向かってのキーワードをひとつ。

劇中 海女たちによって唄われ、よく流れていたキーソング・橋幸夫と吉永小百合による『いつでも夢を』の一節

あの娘は いつも 歌ってる

そう、潮騒のメモリーズとして復活を遂げたアキもユイも、喪失した歌手としてのアイデンティティを取り戻そうとしている鈴鹿ひろ美も、北三陸のみんなも、きっと最後は笑顔で「歌ってる」のではなかろうか(『あまちゃん』と音楽との関係性については 以前このブログで書いたので、こちらを参照して頂きたい)。

ラストは北三陸鉄道、潮騒のメモリーズ、そして鈴鹿ひろ美の3つの「再生」が成されて、それが3倍以上の物語のカタルシスを生むのではないかと 推測している。 

最後には どんな大団円が待っているのであろうか。最終回はハンカチ必須で臨みたいw

あまちゃんとサザン ~オンガクノチカラ~

NHK朝の連ドラ『あまちゃん』が「震災編」に突入し、いよいよクライマックスを迎えようとしている。楽しみで毎日見逃せない。

そこでひとつ気がついた事があった。

3.11以降、映画『潮騒のメモリー』が公開後わずか1週間で打ち切りに。そして同名主題歌も自主規制によりテレビ等で掛けられなくなってしまったという劇中のくだり。

これを見ていてハッと思い出したのは、忘れ去れていた あの「名曲」の事である。

それは

サザンオールスターズの『TSUNAMI』

だ。

自分は先日サザンの地元凱旋ライブを「聴きに」茅ヶ崎まで行ってきたのだが、そこでも やはりあの『TSUNAMI』が唄われる事はなかった。

言うまでもないが『TSUNAMI』は、初期の名曲『いとしのエリー』、中期の代表曲『真夏の果実』に続く、トリプルミリオンを記録した後期サザンのヒット曲である。

もしかすると『潮騒のメモリー』とは、今では無かった事のようになっている『TSUNAMI』に贈った 宮藤官九郎からのエールだったのではなかろうか。

そして奇しくも この2013年に、そのサザンが復活というのも単なる偶然ではないような気がする。

サザンもサザンで 震災から2年半が経過し「またあの曲が唄えたら、唄えるような世の中になったら…」という万感の思いを持って帰ってきたはずだ。

そういった被災地への思いは 同じく『あまちゃん』で使われている『地元に帰ろう』という曲にも顕著に表れている(ちなみにクドカンの故郷は宮城県である)。

そう考えると『あまちゃん』というドラマには「音楽の肯定」という裏メッセージがあるような気がしてならない。

もちろんクドカン自身もグループ魂として音楽活動もしているし、「音楽の力を信じたい」という気持ちもあったかと思う。

それと大友良英による軽快なオープニングテーマにも「震災復興への強い思い・祈り」が感じられる。

そういえば、北三陸鉄道復興のシーンでは ゴダイゴの『銀河鉄道999』(ブラスアレンジ)が非常に効果的に使われていて印象深かった(実は『銀河鉄道999』は番組初期の頃から度々使用されていた)。

 
さあ行くんだ その顔を上げて

新しい風に心を洗おう

古い夢は 置いて行くがいい

ふたたび始まる ドラマのために


元々はアニメのために作られた曲なのに、歌詞だけを見たら まるで このシーンのために書かれた「復興支援ソング」のようではないか。

大吉っつあんの『ゴーストバスターズ』しかり、80年代のアイドルソングへのオマージュしかり、 キーワードというか重要な「キーソング」が多数存在する『あまちゃん』、今後の展開が気になります。
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